上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |

ここ1年くらいで見た映画です。
覚えてる分だけですが・・・。

内容は、また時間があれば更新します。


てゆうか、この下にある広告なんやねん。
こんなんクリックする奴いるんか。


【ザ・マジックアワー】 10点
【ヘアスプレー】 9点
【ホノカアボーイ】 9点
【キサラギ】 8点
【百万円と苦虫女】 8点
【チェンジリング】 8点
【おくりびと】 8点
【鴨川ホルモー】 8点
【パコと魔法の絵本】 7点
【アース】 7点
【ぐるりのこと。】 7点
【余命一ヶ月の花嫁】 7点
【ウォーリー】 7点
【レッドクリフ partI】 7点
【名探偵コナン 漆黒の追跡者】 7点
【レッドクリフ partII】 6点
【丘をこえて】 6点
【魍魎の匣】 5点
【20世紀少年 第二章】 5点
【グーグーだって猫である】 5点
【陰日向に咲く】 5点
【崖の上のポニョ】 4点
【イントゥザブルー】 4点
【20世紀少年 第一章】 3点
【眉山】 3点
【ぼくのおばあちゃん】 3点
スポンサーサイト

2009.06.22 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(10) |

人間は、考え方によってはみんな孤独です。

なので、自分を守りながら生きていかないといけない。その考え方はある意味正しいけど、それはあくまで哲学的な話だけ。人間関係やコミュニケーションにおいては、そういう「自分を守る」みたいな行動は嫌われるだけの要素になります。難しいもんですね。矛盾っちゅうやつです。でも、よく考えたら矛盾でもなんでもない気がする。

人間だけじゃなく動物なんかも、本来は助け合って生きていくもの。哲学的には孤独になることはあっても、助け合うことに生き物としての醍醐味があるっちゅうても過言じゃない。言ってみると、「孤独だからこそ、助け合う」んです。まあ、それだけ聞いたら当然の話ですよね。「孤独だから、自分を守る」じゃない。なんかこうやって言ってみると当たり前のように聞こえるけど、実際、世の中には「孤独だから自分を守る」ような行動をするやつもいる。まあ、どうせそいつは周りに「みんなで助け合おう」みたいなことを言うんでしょうけど。

ここ最近、そういう奴を何人か見てしまって、かなり悲しくなった。

もちろん、誰にだってそんな部分があるんやろうけど、いざと言うときにその人の本質が見える。なんかそういうのって悲しいっすよね。犯罪者だって、捕まってすぐ反省して謝るんならまだマシやと思えるけど、最初は否認していて、どうしようもなくなってから自供して、その後にやっと謝る奴って、ほんま最低ですよね。カッコ悪いし。

僕の周りに一人、どんな時でも「自分よりまず相手」っていう人がいます。疲れてようが何だろうが、その人は相手を思いやる行動をしてくれます。たとえお金がかかることでも。僕も見習わなあかんです。やっぱそういう人には人が集まるし、そうじゃない人には寄ってこない。そんなもんです。どんな考えを持った人間かなんて、発言とか行動をあえて細かく分析しなくでも感じ取れるもんです。ここ最近見た悲しいヤツにも、どうせ人は寄ってこないでしょう。そしてそいつらは、逆に保身なんてゼッタイできないんです。

2009.02.02 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(2) |

昨年の9月、30歳になった瞬間、いや少しそれは誇張しすぎだが、30歳になったことで自分の考え方はいろんな部分が大きく変わった。気がする。

世の中は人間が他の動物たちを支配して生きている。けど、そんなんあくまでも地球の中だけの話で、その地球が無くなったとたんそんな世界は跡形もなく消える。今まで築いてきた文明も、科学も、文化も言葉も感情も、何から何までゼロになってしまう。人間・・・いや地球の生物は、自分の知る限り地球の中のみにその歴史を残してきた。一部、月には残ってるんかも知れんけど。まあ、それがおかしいとか悲しいとかそんなんを言うつもりはなくて、何が言いたいかというと、よく言われている『環境』というものをこのまま順調に(?)破壊し続けると、いつか地球が滅びてしまうのではないか?ということを考えてしまう。「俺らが生きてるうちは大丈夫やろ~」とかいう考えもあるだろうけど、いまの自分はなぜか、その考えを超えちゃっている。

例えば、あくまで例えばの話だが、自分が死んで、輪廻転生で新しい自分に生まれ変わったとき、前の記憶は残ってないとはいえ、やっぱり美しい地球のもとに生まれたい。3回死んで3回生まれ変わっても、また地球に生まれたいのです。もし2回目に死んでから3回目に生まれ変わるまでに地球が滅亡しちゃったら、自分はどこで生まれ変わるんやろ?まだ文明も発達してない宇宙の片隅にある小さい星で、気持ち悪い宇宙人として生まれ変わるんだろうか・・・?そこには、愛や友情や喜び、悲しみなんていう感情は存在するんだろうか?感情を表現する言葉はあるのだろうか?すてきな想い出をつくることができる星なのだろうか?たぶん、そうじゃないだろう。こんなに恵まれている地球なんて、そうあるもんじゃない。

極端な話で笑われるかもしれへんけど、、、30歳になって、自分は急に歳をとったような気がして、自分や自分の周りにいる人もいつか死んでしまうんやなあ~ということを、改めて深く考えてしまうようになった。そして、人だけじゃなくて、この世界やこの地球も、いつか終わりがくるんじゃないかって思うようになった。なんか、地球が存在することなんて当たり前のように思ってしまうのが普通やけど、決してそうじゃない。

百歩ゆずって、自分が死んでしまうことまでは納得するとしよう。めっちゃ悲しいし嫌やけど、最悪しゃあないとしよう。でも、生まれ変わったときに地球がなかったら、なんて悲しいんやろう。こんなに奥が深い人間を、地球を、ゼッタイに絶やしてはいけないんやで。ほんまに。「だからどうせえっちゅうねん!」って自分でも思うけど、なんとなくそう思ったから書いてみました。

みんな、地球にやさしくしような。

2009.01.20 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(0) |

犯行後に言った「誰でもよかった」っていう言葉。


この「よかった」とは

何がどう「よい」のか?

何が何に対して「よかった」ことになるのか?


死刑になりたいんやったら、

自らで自らを死刑にしたらいいんちゃうのん。


俺は自殺には反対やけど

こんなん勝手に自殺してくれた方がマシ。


拳銃にびびってナイフを捨てるなんて、

ほんまにこいつ死刑になりたいんかな。


自分が世の中で小さすぎる存在であることに

耐えられへんくなったんやろう。


死にたいくせに

死ぬのがめちゃめちゃ怖かったんやろう。


でも、「誰もあかん」ねん。

アホでもわかるやろ。

2008.06.10 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(2) |

この世界が生まれて2千年以上経つけど

偶然おれらは同じ時代に生まれて  同じ時間の中で過ごしてて


今生きてるすべての人を

誰も知らなくなる時代が  いずれ来るわけで


同じ時代を共有して次の世代へとつながっていく

っていうその繰り返し


それが2千年  いやもっと続いてる


そんなおれらが出会ったのは

この世界で言えば  ミクロ級以下のどうでもいい出来事


悲しいことも嬉しいことも

同じ時代をたまたま共有しているからこそ生まれる


このまえ楽しかったことも  この先淋しく感じることも

懐かしい想い出も


運命であり縁であり  ただの偶然でもある


親も兄弟も友達も  先生も社長も恋人も見知らぬ人も

みーんな  たまたま同じ時代を歩いている人たちで

運命的な確率で  同じ時代を生きている人たちで


過去の多大なる歴史がウソかホンマかは誰も知らへん

それは数百年後の人が

おれらの今の時代について考えるときも同じ


タイムマシンなんて、ない方がいいかも


いま同じ時代を生きていることは

おれらだけの秘密にしたいもんな

2008.02.07 | 戯言 | トラックバック(0) | コメント(2) |

玉置浩二の歌で、こんな歌詞がある。

どんな時でも どんなことにでも

人の気持ちになって この心が痛むなら

むだなことだって 言われたって

かまわないから


人の気持ちになって考えることは、本当に重要なこと。自分自身、それができているかはわからないが、それが大切だってことは分かる。世の中には、同じようにそれが分かる人もたくさんいるだろう。しかしその反面、分かっている振りをして、この考えが明らかに分かっていない人もいる。程度に大小はあるが、いままでに私が出会った中ににもそのような類の人物は存在する。小さい行動でも、最終的に自分の利益や地位、評判になると思えることしか行わない。一見、人のためにしているようなことでも、実は自分にとってオイシイと思えることだからやっている。そんな裏側がバレバレな人を見ていると、本当につまらないと感じる。その程度がたとえ小であっても、それは醜い。

今日、昨年に放送された「FNS27時間テレビ」で、番組制作上の倫理違反があったとする意見書が放送倫理・番組向上機構からフジテレビに渡された。

放送されたのは、新潟中越地震の被災者にリンゴを送り続けている東北地方の女性に江原啓之氏が訪ねるというドッキリ企画。彼女は美容院を経営しながら、亡くなった父親から受け継いだりんご園を経営していた。しかし、新潟で地震が起こって以来、彼女はりんご園の経営をやめ、被災地などに無償でリンゴ送るようになった。放送では、その無償提供が原因で費用がふくらみ、本業の美容院の経営も厳しい状況になっているという内容だった。そこに江原氏がドッキリで訪れ、亡き父のメッセージとして「お前は間違っている。リンゴを送る前に、まず本業である美容院をしっかりやれ。」という意味の言葉を投げかけたのである。

このような内容の企画はまあ普通にあり得るものなのだが、問題は、事実と違っていたこと。彼女の美容院は経営難でも何でもなく、彼女は「リンゴを送ること」と「美容院の経営」のバランスには何も悩んでいなかったという。それなのに、江原氏から「間違っている」というような言葉を“父からの言葉”として受けたので、彼女は大きなショックを受けた。良かれと思って行っていたボランティアを、天国の父が反対するという事実。これは、天国の父からのメッセージを押しつけるべく、番組が都合のよい状況を勝手に作り出したと言える。視聴率欲しさに細工をし、何の罪もない善人を傷つけたのである。

テレビ局がこのような“ヤラせ”を行うことはもはや驚きでも何でもないが、問題は何の罪もない善人を傷つけたこと。メディアは真実を伝えるのが仕事。ジャーナリズム的に言えば、良き事実には賞賛し、悪事を批判すべきである代表的な存在。視聴率=広告費=自社、それを最優先し、人の気持ちになって考えることができないテレビ局なんて、自己中心的で何よりも価値のない存在である。

自分の利益を優先するよりも、心から人の気持ちになって行動する方が、回り回ってよっぽど自分の利益になる。なのに、なぜそれがわからないのか。そんな行動なんて、みんなすぐ気づくものである。

2008.01.21 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(0) |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。