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そういえば、昔は今井美樹さんの曲をよく聴いていた。布袋寅泰がプロデュースしはじめる前の、まだそんなに売れてない頃の曲。何よりも歌声が好きで、キレイなビブラートで思わず甘えたくなるような歌声だった。『PIECE OF MY WISH』のサビの部分は、彼女の歌声が特にオーラを放っていて、思春期の少年である私の心を何度もくすぐった。たとえどんな曲でも、彼女が歌えば好きになった。魅力を感じる歌声って、どんな曲でも“名曲”に感じさせてしまうのかもしれない。

そんな感覚は最近増えてきた。「ええ声やわ~」って感じるとき。なんか、子どもから大人になると味覚が変わるみたいな、「微妙な感覚」っちゅうもんがわかるようになる感じ。クラムボンの原田郁子さんがそうだし、他ではsalyuとかYUKIとか、BEGINの比嘉栄昇とか、クレイジーケンバンドの横山剣、フジファブリックの志村正彦などもそう。どれもここ数年でよく聞く音楽で、「ごっつええ声やわ~」と思う。その中でも、EGO-WRAPPIN’のボーカル中納良恵さんの声が好き。やさしい歌声と激しい歌声の二面性があって、それぞれが両極端の強い雰囲気を出している。何回もライブ行ってるけど、毎回聞き惚れてしまう。“声”を感じることが増えてきたここ数年。耳も成長しているんだろうか。ちなみに『BYRD』という曲は個人的な思い入れもあり、自分の中でかなりの名曲。

高校生から大学生にかけては、フォークの魅力に取り憑かれた。奥田民生を聴いたのがきっかけ。ユニコーンの『雪が降る町』くらいから彼に興味を持ちだして、ソロになって初めてのアルバム『29』で衝撃を受けた。特にその中の『674』という曲。フォークギターだけで弾き語る暗~い曲で、哀愁だけにとどまらず絶望感や殺意さえも覚えさせた。「あ、この人のようになりたい・・・!」って思ったのを覚えている。それからギターの練習をはじめて、彼の曲も多く覚えた。歌い方も自然に真似してて、気付けば似たような歌い方をしてた自分がいた。「ペットは飼い主に似る」とはよく言うけど、それと同じ感じやね。

奥田民生の延長線上のような感じでハマったのが吉田拓郎さん。同じような音楽の趣味だった高校時代の友人に薦められて聴いたのがきっかけ。ぶ厚~い“吉田拓郎楽譜集”みたいなのを持って、その友人と二人で阪急伊丹駅の側でよく路上ライブしたのを覚えている。吉田拓郎だけあって、近づいてくるのはオッサンばっか。お小遣いをもらったこともあった。大声で『人生を語らず』『落陽』『イメージの詩』を歌いまくった。その他にも名曲がいっぱいあって、十代の若者のクセに聴きまくってた。あの頃は、井上陽水や浜田省吾、安全地帯や、中島みゆきなどをよく聞いていて、周りから「エツは古いモン聴くねんな~」って言われた。まあ、その頃に流行った曲も聴いててんけど。

つづく(予定)
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2007.05.11 | 音楽 | トラックバック(0) | コメント(0) |

そういえば、昔はCHAGE&ASKAの大ファンだった。中学のころは特にハマってて、歌詞カードには書いてないASKAの叫び声のようなメロディまで完璧に覚えたもんだ。周りの友人もほとんどがチャゲアスのファンで、男子5~6人で『SUPER BEST 2』を買いに行ったことを今でもよく覚えている。好きだったアルバムは『TREE』。『クルミを割れた日』『明け方の君』なんてCDが擦り切れるほど聞いた。いまもチャゲアスは活動中みたいだが、CDを買うこともなければレンタルすることもない。でもなんか、昔付き合ってた彼女を応援する感覚みたいな、「いまは聴かないけど頑張ってほしい」っていう気持ちになる。なんか不思議な感覚。

あの頃と比べると、音楽の趣味はかなり変わった気がする。ガーガー激しい音楽や、ノリノリすぎる音楽は、ここ最近あまり聴かなくなってきた。今はフワフワ浮遊するような曲調の、いわゆる“ゆるい系音楽”みたいなのがお気に入り。中でもクラムボンっていうバンドは、今まで出会った中でも群を抜いて素晴らしいと感じた音楽。ボーカル原田郁子さんの歌声は、身体の中に染みこんでいくっていうか、空に飛んでいってしまうっていうか、うまく言えんけどそれくらい特別なものを感じた声。こんな感覚を覚えるアーティストに人生の序盤で出会えたことを心から感謝します。キーボードを弾きながら上を向いて大きく歌う姿がとても印象的。

音楽の趣味が変化していっても、変わらず聴き続けてるのが桑田佳祐さん。高校時代からの大ファンで、カラオケで歌うのが恐れおおいほど。サザンオールスターズの『海』っていう曲が一番好きで、夏が終わった初秋の誰もいない海辺で聴きたい感じの名曲。彼の曲に限ったことではないが、具体的地名が歌詞に出てくる曲が個人的に好きで、『LOVE AFFAIR~秘密のデート』を聴いてからは「いつか横浜に行ってサザンの歌に出てくる場所を巡ってやる!」とさえ思うようになった。数年前にその企画をみごと実行して、ごっつ満足。

いまさらやけど、最近さらに好きになってきたのが桜井和寿さん。曲は昔からずっと聴いていたけど、ここ最近は昔に比べてプラスのメッセージが多く、心が洗われる曲が多い。忘れかけていた心を取り戻してくれるような、心の中をシンプルにさせてくれるような、言ってみれば“神様からのお告げ”みたいな感じの曲。歌っている表情もなんとなく昔よりやさしくなった気がする。もちろんいい意味で。Mr.Childrenの『HOME』っていうアルバムにある『彩り』という曲は、今書いたことを象徴した曲のように思える。bank bandの『to U』からも感じるけど、彼は今いちばん「平和」っていう言葉が似合うアーティストちゃうかな。

つづく(予定)

2007.04.24 | 音楽 | トラックバック(0) | コメント(4) |

おなじ話(ハンバートハンバート)
先日、梅田HEPホールでのライブに行ってきた。フォーク、カントリー、童謡などの要素を取り入れた、いわゆる“ゆる~い系”音楽の男女デュオ。ボーカル佐野遊穂の透き通った声と、ギター佐藤良成のダミダミした声が妙にマッチし、どこか懐かしく、妙に切ない、独特の雰囲気を漂わせるユニットである。

ハンバートハンバートの歌詞には、多くの曲に「さようなら」というフレーズが使われている。楽しげなメロディーでも、どこか淋しい雰囲気が見え隠れする。アコギやマンドリン、バイオリンの古めかしい音色が、その雰囲気づくりを助長しているよう。

この『おなじ話』という曲は、彼らの作品のなかでも特にその雰囲気が感じられる曲。男女が会話をするように、「どこにいるの?」「窓のそばにいるよ」「何をしてるの?」「何にもしてないよ」「そばにおいでよ」「今行くから待って」と同じような会話を繰り返す。男女にはよくある会話。無意味なようだが、実はすごく意味のある会話。

曲の後半から、物語は悲しい方向へと向かう。「話しをしよう」と男が語りかけても、女からの返事はない。二人の距離はどんどん広がり、ついに「さようなら」という言葉。きれいにハモった歌声と、それを乗せた心地よいメロディーが、逆に悲しい雰囲気を演出する。突然の別れではなく、ゆっくりと別れていく二人を描いており、聞き終わってからじわじわと味わい深くなっていく。


宝石(タテタカコ)
私が名作だと思う映画のひとつ『誰も知らない』の挿入歌。彼女の曲はハンバートハンバートとはまた違った雰囲気があり、時には上品で、時には突き刺さるようなショッキングなメロディーを奏でる。すべてがピアノの弾き語りで、何となく学校の音楽の授業を思い出させる。合唱コンクール(私の母校ではこう呼んだ)で歌いそうな曲が多く、どこか懐かしさのようなものを感じる。しかしその反面、何か恐ろしい感情を覚えてしまうのも彼女独特の特徴。

『宝石』は彼女が高校生の時に書いた歌らしい。暗闇の世界に取り残された自分が、恐怖やもどかしさやの中、自分でも分からない「何か」を訴えようとしているようだ。淋しさのなかにもトゲがあり、いわゆる“メッセージ性”というものを強く感じる。まるで少年・少女の奥に秘められた感情を吐き出しているよう。『誰も知らない』の是枝監督が挿入歌として強く希望したのもよくわかる。

彼女の曲には「楽しい」という雰囲気はあまり感じられない。この『宝石』もそう。明け方や夕暮れ、真夜中といった、哀愁のある風景がよく似合う。「だれもよせつけられない 異臭を放った宝石」。このような独特の言葉のチョイスが、彼女の世界を構成している。頭の中で物語がイメージされるような“光景”を描くことができる不思議な音楽だ。もはや音楽というより、小説を読んでいる感覚に近い。


こんにちは またあした(コトリンゴ)
月桂冠『つき』のCMソング。消えてしまいそうにささやく声で、ほんわかするラブソングを歌う。彼女は昨年の秋にこの歌でCDデビュー。なんでも、坂本龍一のラジオ番組にデモテープを送ったところ、その才能を見出されてデビューが決まったという。ボリュームを少し大きめにしないと聞こえない、妖精みたいな優しい声。

「何でもないような事が 幸せだったと思う」と歌ったTHE虎舞竜の『ロード』のように、この歌も“何気ない”“ささやかな”幸せを歌っている。当たり前のような「こんにちは」「おやすみ」という挨拶の中にも大きな幸せが詰まっている。恋愛を悟ったような歌詞である反面、子どものように純粋な気持ちも存在する。何か、原点回帰の大切さというか、純粋な感情のすばらしさというか、そんなことを考えさせられる歌である。

この歌は“何気ない小さな幸せ”がテーマのようだが、歌詞の中には「地球のはて」や「広い宇宙」という“何気ない”とは対極の言葉も使われている。この大きな言葉が“小さな幸せ”の存在をより小さくし、その大切さをより大きくする。さらには、その幸せをより身近に感じさせる。跳ねるようなピアノに合わせて、楽しそうにメロディーをささやき、まるで思春期の少女が書く日記のよう。聞いているだけで、もうニンマリ。

2007.03.29 | 音楽 | トラックバック(0) | コメント(2) |

等身大のラブソング(Aqua Timez)
友達がカラオケで歌っているのを聞いて、その歌詞に感動しました。なんか、照れくさいことを照れずに言えるかっこよさっていうのを感じる歌。こんな歌詞みたいなことを彼女とかに言ってあげられる男って、めっちゃカッコええんやろなあって思う。このAqua Timezっていうグループのことは全く知らんけど、こんなにストレーな歌詞を書ける人ってなかなかいないんちゃうかな。「不器用やけど・・・」って感じのラブソングで素晴らしい曲。なんか三木道山の『LifetimeRespect』って曲を思い出しました。あれもごっついストレートな曲でかっこよかった。曲調はちょっとヒップホップ調なポップスって感じで、なかなか万人ウケしそうな曲。個人的にはそんな好きな曲調じゃないけど。

この曲で一番好きなところは、やっぱり後半の「おまえが何かに傷ついた時に・・・」からの部分。なんか、どんなに落ち込んでても、どんなに後悔することをしてしまっても、このフレーズがすべてを許してくれそうな気がします。自己嫌悪になったときに励ましてくれそう。サビの「百万回の愛してるなんかよりも・・・」っていう部分も好きな人は多いやろうけど、百万回も「愛してる」って言うのはそれはそれですごいと思う。まあでもこれは「口先より行動」っていう意味なんやろうけどね。言葉も大事やけど、行動や態度がもっと大事やってこと。単純なことやけど、これってなかなかできるモンじゃないよなあ。行動できるかどうかは、やっぱ気持ちがあるかどうかが大きく関係してくるから。なんか、そんな単純で難しいことを考えさせてくれる歌。めちゃ良い曲です。

男はバカなのか俺がバカなのか(MALCO)
サビまではなんかベース漫談みたいな雰囲気が漂う曲。でもサビは男の気持ち(?)みたいなことをガツンと歌っていて、心に響きます。彼女に書いた手紙のようで、彼女との思い出を綴った日記のようで、自分を当てはめやすいような歌詞が印象的です。長く付き合ってるカップルにものすごく合う曲。サビ以外の部分は起こった出来事を日記のように書いた歌詞が中心で、逆にサビだけは気持ちの入った歌詞をガッツリ入れています。そこがグッとくるポイントですね。あと、「ケイタイ」とか「コンビニ」とか「プリクラ」とか、生活レベルの単語が出てくるところがリアルな想像をかき立てる大きな要素になってる気がします。

ボーカルの宗ひろしの声や歌い方は個人的にかなり好き。変に気持ちを込めすぎない雰囲気の歌い方で、声が分厚くて、ちょっとしたダラダラ感のある感じ。奥田民生とかフジファブリックなんかの歌い方に似た雰囲気があるかも。なんか、トボけてるようで、テキトーなように見えて、実はいろいろ考えて頑張ってるねんぞ、っていう人みたいで、理想の男に近い雰囲気を感じます。ぜひともカラオケで歌ってみたい。「コンビニで今日も・・・」の部分なんか気持ち込めまくりで熱唱してみたい。

この曲のタイトルにあるように、男はある意味バカな生き物だと思います。この歌詞に出てくる人物も、僕自身も、自分の周りにいる人たちも、男特有のバカさをみんな持っている気がします。バカやけど、一生忘れちゃあかんバカさやと思う。だからこの曲が素晴らしいと感じるんやろうね。

幸せをありがとう(ケツメイシ)
結婚ソングのもはや定番と化している名曲。この曲が大学時代からの友人の結婚式の入場シーンで流れて、その瞬間ちょっと鳥肌が立ったのを覚えています。僕自身、結婚願望は今はあまりないけど、この曲を聴くたびに「結婚っていいモンかも」って思います。この曲も前述の2曲と同様、彼女に対して気持ちをストレートに言葉にして歌っている歌。歌詞一つひとつが光り輝いてる気がします。一見キレイごとを歌った内容に思える歌詞やけど、結婚する二人にとってはキレイごとは本当にキレイなことになるんやなあって聴いてて思います。

「幸せは手を広げて求めるものでなく繋いだ手の中に生まれる」っていうところ、いろんな意味で思い出深い歌詞です。鳥肌が立つほどの結婚式を挙げた友人は、来年ついにパパになるらしい。繋いだ手の中から生まれた幸せがひとつの形になったって感じ。素晴らしいね。かっこいいぜ。幸せって、見てるだけで「ありがとう」って思えることがある(ただし、全く思えないこともある)けど、この曲は彼氏が彼女に言う「ありがとう」だけじゃなく、二人に対する第三者からの「ありがとう」を歌った歌でもあるように思える。なんか結婚の“魔法”みたいなモンを感じて、ほんわかできます。

この秋に結婚する会社の後輩の女の子もこの曲が大好きで、カラオケ行くととりあえず誰かが彼女のために(?)この曲を歌っています。彼女自身も歌ったりもするくらいで、何回聴いても、誰が歌ってても、たとえ歌詞を咬んでも変わらぬ素晴らしさを放ち、聴く度に感動を覚えます。結婚式の一番泣かすシーンで流されたら間違いなく号泣するやろなあ。

2006.06.24 | 音楽 | トラックバック(1) | コメント(2) |

先日、久しぶりにNHK紅白歌合戦というものを観た。相次ぐ不祥事や受信料支払い拒否の問題など、悪い話が絶えなかったNHKは、この紅白でどう巻き返しを図るのだろう。と私は密かに楽しみにしていた。フタを開けてみると、話題の多い歌手・司会者・審査員の起用や数々のお笑い芸人の登場など、あの手この手で盛り上げる演出。正直なかなか楽しかった。しかし終わってから思うと、記憶に残ったのは数々の演出やトラブルのことくらい。肝心の歌手や歌についてはほとんど心に残っていなかった。恐らく紅白歌合戦なんて毎年こういうモンなのだろう、と変に自分の中で納得してしまったのだが、果たしてどうなのか。

紅白歌合戦に限らず、近年の音楽業界は多様化が進みすぎている気がしてならない。「すばらしいメロディー」「抜群の歌唱力」「心に響く歌詞」などという、歌そのものにある要素だけでなく、「個性的なビジュアル」「高いエンタテインメント性」「強烈なキャラクター」「番組タイアップ」「企画モノ」など、歌以外の要素で売れる・売れないが左右されている状況にある。CDがあまり売れなくなり、アルバムはDVDとセットで販売するのが当たり前。「聞く音楽」から「見て感じる音楽」が多くなっている。これも時代の流れだと言ってしまえばそれまでだが、やはり歌手やアーティストは歌だけで勝負してほしい、という思いが私にはある。今回の紅白歌合戦の出演者を見てみても、その流れにマッチして出演している歌手が多かった。歌そのものにある要素のすばらしさで出演している歌手なんて半分以下。ゴリエなんか話題づくり以外の何ものでもない。こんな状態では、実力のある歌手やアーティストも売れるために“キャラづくり”への階段を上り始めてしまい、肝心の歌を極めようとしない方向へ行ってしまいかねない。

私がよく考えることがあるもしこの世にテレビがなかったら、音楽を聞ける媒体がラジオだけだったら、現在の日本の音楽業界はどうなっているだろう。“エロカッコイイ”で売り出し中のあの人も、ファッションなどで若者女性からカリスマ的な人気を誇るあの人も、男前ばかりを集めたあのグループも、今よりも売れないどころか、音楽界にいるのかどうかすらも怪しいところだ。そうなれば恐らく、歌の本質を極めようと努力している歌手やアーティストが中心にブレイクする世の中になっているだろう。現在の音楽業界は、視聴者に「歌の本質とは何か」をわかりにくくさせている状態にあるのではないだろうか。

話は少し逸れるが、最近のお笑い番組はいちいちテロップが出る。お笑い好きな視聴者はこのテロップをかなりうざったく感じるのだが、何も考えていない視聴者はこのテロップのお陰(?)で「どういうネタをしているか」「どこがオチなのか」「どこで笑ったらいいのか」を感じ取っている。言ってみれば“感受もやしっ子”なのだ。そんなテロップが当たり前になると、テロップなしでは話の流れのタイミングを掴めない、インプット下手クソ人間が増えてしまう。逆に言えば、そんな視聴者が多いから、テレビ局はテロップを入れたがるのだ。

現在の音楽業界もこれと似たような状況だと私は思う。ビジュアル、キャラクター、タイアップなど、本質とは違う要素で売れるアーティストが多くなっている。すると、リスナーはメロディー、歌唱力、歌詞などの「歌の本質」が見えにくくなる。見た目に頼り感受性の低い『インプット下手クソ人間』への道が始まってしまう。歌詞やメロディーだけでは「すばらしい歌」であることを判断できず、その周りにあるキャラやビジュアルに頼ってしまうのだ。逆に言えば、そういうリスナーが多いから、レコード会社はビジュアルやキャラを濃くしたがるのだ。“ビジュアル系”なんてまさに象徴的。「俺たちは音楽の本質じゃなく、見た目だけで勝負しますよ~」と言っているようなモンである。そんなバンドのCDを買う人の気持ちが、私には全くわからない(DVDなら二百歩譲ってわかるが)。

「このままでは音楽業界がダメになる」と思っているわけでは別にない。実際、音楽の本質がすばらしい(と私が感じる)歌手やアーティストも多く、誰が売れようが、誰がテレビに出ようが別に関係ない。音楽は好きずきである。ただ、『インプット下手クソ人間』が増えることはあまり良くない傾向であると思う。音楽の本質はやはりビジュアルやキャラクターではない。それをわからない人が多くなり続けては、日本の文化レベルにも支障が出てしまう。こうなったら思い切って、2006年の1年間はテレビ禁止条例でも制定し、施行してみてはいかがだろう。私は推進します。

2006.01.04 | 音楽 | トラックバック(1) | コメント(4) |

あれは恐らく1年半ほど前。今までミュージカルなど見に行ったことのなかった自分が、生まれて初めて見に行くことになった。それは地球ゴージャスという岸谷五朗と寺脇康文による企画ユニットの「クラウディア」という公演。大阪のフェスティバルホールで上演されていた。わざわざチケットを取ってまで見に行こうと思ったのは、ファンであるサザンオールスターズの楽曲が随所で歌われていたから。ただそれだけが理由で、特に目当ての出演者がいたわけでもない。公演が始まり、岸谷五朗や寺脇康文らが歌い、踊っていた。その中に、一際目立つ彼女の姿があった。

彼女がミュージカル歌手であることは何となく知っていて、以前から「アイドルだった割には歌がうまいなあ」ぐらいは感じていた。甲高い声とダイナミックなビブラート。「1986年のマリリン」も何度か聴いたことがある。公演前、パンフレットを見て「あっ、この人出てるんや」と思ったのをよく覚えている。彼女のことを以前からある程度知っていたにもかかわらず、実際の公演ではその歌声に驚き、見とれてしまった。「か細い体で、よくあんなに歌うことができるなあ」と彼女はいろんな人に何度も言われてきたという。実際に生で彼女を見ると、そんなセリフを言う人の気持ちがよく分かった。細すぎる体から、強くて生き生きした声が何度も発せられる。公演が終わり外へ出ると、耳に残っていたのは誰よりも彼女の歌声だった。

そんな彼女を今年1月、急性骨髄性白血病が襲う。「決意新たに私自身を磨いていきたい」と名前の後に「.(ドット)」を付け、吉画に変更した矢先の発覚だった。10ヶ月の闘病生活もむなしく、先日彼女は亡くなった。4月には無菌室から一般病棟に移り、7月には退院もして順調な回復ぶりを見せていたのだが、その後再び入院。10月末には染色体の異常が見つかり、体調が悪化していたという。早すぎる訃報に私もかなりショックを受けたのだが、ニュースなどで生前の彼女の歌声やコメントを聞いていると、悲しみと同時にパワーのようなものも沸いてきた。これが彼女の持つ大きな力なのだろう、と今現在感じている。

「心が開いて、心の目で、周りを見渡してごらん、きっと、小さな幸せの芽が、見つかるよ。そして、そこから少しずつ、笑顔が生まれてくる。笑顔が生まれ始めたら、喜びに変わるのも、もうすぐ。(中略)豊かな笑顔が増えたら、きっと周りにいる人達にも、幸せ届ける事が出来るでしょう。 笑顔がいちばん」

これは、彼女が今年3月に病床で作詞した「笑顔」というタイトルの歌詞の一部分。まるで苦しむ自分に言い聞かせるかのような内容で、考えれば痛々しくも感じてくる。しかし恐らく、これは自分自身への詩ではなく、これを読む全ての人へのメッセージなのではないだろうか。病気で苦しんでいるにもかかわらず、彼女は励ます友人の体調を逆に気遣ってみたり、ハートマークいっぱいのメールを送ってみたりして、周囲の幸せを願い続けていたという。自分が笑顔で振る舞うことにより、周りが幸せになれる。そしてそのことが、彼女自身の幸せでもある。この歌詞ではそんな彼女の想いが込められているように思える。「天使の笑顔」と言われたのは、彼女のそんな想いが根本にあるからではないだろうか。

「才能ある人は若くして亡くなる」
そんな言葉を誰かが言っていたのを思い出した。その言葉が誰に対しても当てはまるかは知らないが、その人は伝説になり、後々まで語り告げられる。彼女はこれから伝説になり、人々の中に生き続けていくのだ。そしてそんな伝説へ一歩でも近づこうと、この先ミュージカル歌手をめざす若者が少なからず増えていくことだろう。ミュージカルは日本になくてはならない娯楽になり、彼女のように夢を与えられるミュージカル歌手もどんどん増えていく。近い将来、そんな日が来るかもしれない。それは彼女の望みでもあるだろうし、そうなれば間違いなく彼女の功績である。

天使が贈ってくれるものは、美しい歌声だけではない。
ご冥福をお祈りいたします。

2005.11.09 | 音楽 | トラックバック(7) | コメント(3) |

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