2005-04.26 Tue4月25日[ライフ]
Time[21:08] Comment[0] Trackback[5]
テレビ画面に、亡くなった方の名前が無機質に映される。
そこに友人の名前がないかを食い入るように見ていると、10年前の阪神大震災の時を思い出した。物心ついた時からずっと伊丹に住んでいるので、知っている人は数え切れない。一人ひとりを丁寧に確認した。
我が家の最寄り駅はJR伊丹駅と阪急伊丹駅。
JR伊丹駅は例の、事故前にオーバーランを起こした駅だ。どちらかというと通勤に使うのは阪急が多いのだが、JRを使うこともしばしばある。事故の現場は何度も電車で通っている場所で、脱線したカーブもその先にあるさらに急なカーブもよく知っている。それだけにテレビや新聞で何度も報道されると、不思議な心境になってしまう。よく通るJR福知山線が、どこか遠いところのように感じた。
母親がちょうどそのくらいの時間に大阪へ向かう予定だったので、その日の午前中はほとんど仕事が手につかなかった。母親は携帯電話を持っていなかったので連絡の取りようがない。僕は姉や親戚、そして行き先であろう場所に電話を入れる。特に手がかりのないまま、増えていく死者を伝えるニュースに目をやる時間が続いた。昼過ぎに姉からメールが入り、母の無事が確認された。あの電車には乗っていなかったらしい。
帰宅してテレビをつけると、痛ましい事故の模様が各チャンネルで映し出されていた。中には家族と連絡が取れない方に密着しているニュースもあり、見ていると午前中の自分の気持ちを思い出した。乗った人も、乗っていない人もただの偶然。テレビ画面に自分や家族の名前が映し出される可能性は十分にあった。
翌朝、僕は何機ものヘリコプタの音で目覚めた。
阪急伊丹駅ではいつもより多くの人が電車の出発を待っていた。
乗り込むとそこには、懐かしい友人の姿があった。
そこに友人の名前がないかを食い入るように見ていると、10年前の阪神大震災の時を思い出した。物心ついた時からずっと伊丹に住んでいるので、知っている人は数え切れない。一人ひとりを丁寧に確認した。
我が家の最寄り駅はJR伊丹駅と阪急伊丹駅。
JR伊丹駅は例の、事故前にオーバーランを起こした駅だ。どちらかというと通勤に使うのは阪急が多いのだが、JRを使うこともしばしばある。事故の現場は何度も電車で通っている場所で、脱線したカーブもその先にあるさらに急なカーブもよく知っている。それだけにテレビや新聞で何度も報道されると、不思議な心境になってしまう。よく通るJR福知山線が、どこか遠いところのように感じた。
母親がちょうどそのくらいの時間に大阪へ向かう予定だったので、その日の午前中はほとんど仕事が手につかなかった。母親は携帯電話を持っていなかったので連絡の取りようがない。僕は姉や親戚、そして行き先であろう場所に電話を入れる。特に手がかりのないまま、増えていく死者を伝えるニュースに目をやる時間が続いた。昼過ぎに姉からメールが入り、母の無事が確認された。あの電車には乗っていなかったらしい。
帰宅してテレビをつけると、痛ましい事故の模様が各チャンネルで映し出されていた。中には家族と連絡が取れない方に密着しているニュースもあり、見ていると午前中の自分の気持ちを思い出した。乗った人も、乗っていない人もただの偶然。テレビ画面に自分や家族の名前が映し出される可能性は十分にあった。
翌朝、僕は何機ものヘリコプタの音で目覚めた。
阪急伊丹駅ではいつもより多くの人が電車の出発を待っていた。
乗り込むとそこには、懐かしい友人の姿があった。
2005-04.22 Fri自殺反対論[戯言]
Time[23:23] Comment[6] Trackback[0]
先日、親しい友人と飲みに行って、たまたま自殺の話題になった。
彼が「エツって、絶対に自殺なんかしなさそうやな」と言った。僕が「そんなん当たり前やん。みんな普通そうやろ?」と返すと、「自殺は人生の最終手段として考えてる。そう考えとかんと、思い切ったことがでけへん」と彼は答えた。そしてさらに、「たぶんこう考えてるのは俺以外にもいっぱいおるで」と続けた。
日本は5年連続で3万人以上の人が自殺している、世界有数の自殺大国。自殺未遂も含めると膨大な数に上るらしい。特に最近では、ネットでの集団自殺が多発しており、メディアで話題となっています。自殺の理由としては、人間関係のストレスや喪失体験、借金苦や心の病などがあるという。
人はなぜ自殺するんだろう。
自殺に関して完全な反対論者である僕は、その気持ちが全く理解できません。
自殺をする人はよく自分を美化させたような発言をしたり、そのような遺書を残したりします。しかし所詮自殺は苦しさから逃げてるだけであり、それを美化させることによって自分自身に「正当な自殺」であることを言い聞かせているに過ぎません。自殺に正当もクソもなく、結局は自分に与えられた壁を乗り越えられなかっただけ。自殺する人はその壁をたった一人で背負おうとしてしまい、人間社会で最も大切な「コミュニケーション」を自ら断ち切ってしまう不届き者です。そしてそれにより、周りの人間に一生消せない傷を与えてしまう、一種の加害者であるとも思います。「お前はそういう状況になったことがないから言えるんや」と言われるかもしれません。確かにそうです。しかし僕は、「壁は考え方で高くもなり、低くもなる」ものだと思っています。
ある方の意見にこんな興味深い言葉がありました。
「自殺やひきこもりやうつ病の本当の原因は血にあると思います。血といっても別に遺伝とかいう話ではありません。日常食べている食事のバランスが悪く細胞一個一個から元気がなくなっているため、少しのストレスにも負けてしまうと考えています。ためしにあなたが元気で元気でしかたのない時に自殺ができますか。家の中に何ヶ月もじっとしていられますか」
あくまで一つの例として、身体的ストレスにより細胞の元気がなくなれば、壁は高く見え、精神的ストレスを感じていきます。しかし食生活や日々の生活スタイルによって細胞を元気にさせると、生き方をプラスに考えることができ、壁が低く見えます。そこからの頑張りや方法は自分次第。まあ、あくまで一つの例ですが。
自殺することがプラスになることなど絶対にないと思います。
それは「周りの人への迷惑」という概念を排除し、自分のことだけを考えてもそうです。生きることは「経験すること」であり、その経験に満足できるかできないかが人生において重要だと僕は思います。もちろんその経験とは良いことだけとは限りません。良いことも悪いことも、全てひっくるめて「経験」です。そしてその経験を省みる瞬間が、「死ぬ時」なのだと思います。自殺する人は何か壁にぶつかっている状況。逆に言うと、それを乗り越えることは人生の経験において重要で素晴らしいことです。その壁から逃げ自殺することは、人生の経験値を高めるチャンスを自ら逃しているのです。そんな状況で「満足のいく経験をした」と胸を張って死ねますか?嫌なことも良いことも後から考えると良い経験だという考え方が、生きていく上で大切だと僕は思います。
こんなキレイ事を並べても、結局僕は今までそのような状況になったことがありません。だから説得性が低いのは仕方がないです。しかし一度くらいは「自殺したい」と思う状況を経験したい、と心の中でほんの少しだけ思います。なぜならそれも人生の価値を高める一つの経験だからです。でもその反面、そんな状況に今後なることは絶対にない、とも思います。それは今まで書いたような考え方があるからです。うーん…、難しい。
結論としては、自殺は絶対にプラスにはならない。しかし、自殺したが死にきれず、そこから立ち直った人は、本当に素晴らしい経験をしたと思います。それをきっかけに、ひとまわりもふたまわりも大きな人間になっていくのでしょう。
彼が「エツって、絶対に自殺なんかしなさそうやな」と言った。僕が「そんなん当たり前やん。みんな普通そうやろ?」と返すと、「自殺は人生の最終手段として考えてる。そう考えとかんと、思い切ったことがでけへん」と彼は答えた。そしてさらに、「たぶんこう考えてるのは俺以外にもいっぱいおるで」と続けた。
日本は5年連続で3万人以上の人が自殺している、世界有数の自殺大国。自殺未遂も含めると膨大な数に上るらしい。特に最近では、ネットでの集団自殺が多発しており、メディアで話題となっています。自殺の理由としては、人間関係のストレスや喪失体験、借金苦や心の病などがあるという。
人はなぜ自殺するんだろう。
自殺に関して完全な反対論者である僕は、その気持ちが全く理解できません。
自殺をする人はよく自分を美化させたような発言をしたり、そのような遺書を残したりします。しかし所詮自殺は苦しさから逃げてるだけであり、それを美化させることによって自分自身に「正当な自殺」であることを言い聞かせているに過ぎません。自殺に正当もクソもなく、結局は自分に与えられた壁を乗り越えられなかっただけ。自殺する人はその壁をたった一人で背負おうとしてしまい、人間社会で最も大切な「コミュニケーション」を自ら断ち切ってしまう不届き者です。そしてそれにより、周りの人間に一生消せない傷を与えてしまう、一種の加害者であるとも思います。「お前はそういう状況になったことがないから言えるんや」と言われるかもしれません。確かにそうです。しかし僕は、「壁は考え方で高くもなり、低くもなる」ものだと思っています。
ある方の意見にこんな興味深い言葉がありました。
「自殺やひきこもりやうつ病の本当の原因は血にあると思います。血といっても別に遺伝とかいう話ではありません。日常食べている食事のバランスが悪く細胞一個一個から元気がなくなっているため、少しのストレスにも負けてしまうと考えています。ためしにあなたが元気で元気でしかたのない時に自殺ができますか。家の中に何ヶ月もじっとしていられますか」
あくまで一つの例として、身体的ストレスにより細胞の元気がなくなれば、壁は高く見え、精神的ストレスを感じていきます。しかし食生活や日々の生活スタイルによって細胞を元気にさせると、生き方をプラスに考えることができ、壁が低く見えます。そこからの頑張りや方法は自分次第。まあ、あくまで一つの例ですが。
自殺することがプラスになることなど絶対にないと思います。
それは「周りの人への迷惑」という概念を排除し、自分のことだけを考えてもそうです。生きることは「経験すること」であり、その経験に満足できるかできないかが人生において重要だと僕は思います。もちろんその経験とは良いことだけとは限りません。良いことも悪いことも、全てひっくるめて「経験」です。そしてその経験を省みる瞬間が、「死ぬ時」なのだと思います。自殺する人は何か壁にぶつかっている状況。逆に言うと、それを乗り越えることは人生の経験において重要で素晴らしいことです。その壁から逃げ自殺することは、人生の経験値を高めるチャンスを自ら逃しているのです。そんな状況で「満足のいく経験をした」と胸を張って死ねますか?嫌なことも良いことも後から考えると良い経験だという考え方が、生きていく上で大切だと僕は思います。
こんなキレイ事を並べても、結局僕は今までそのような状況になったことがありません。だから説得性が低いのは仕方がないです。しかし一度くらいは「自殺したい」と思う状況を経験したい、と心の中でほんの少しだけ思います。なぜならそれも人生の価値を高める一つの経験だからです。でもその反面、そんな状況に今後なることは絶対にない、とも思います。それは今まで書いたような考え方があるからです。うーん…、難しい。
結論としては、自殺は絶対にプラスにはならない。しかし、自殺したが死にきれず、そこから立ち直った人は、本当に素晴らしい経験をしたと思います。それをきっかけに、ひとまわりもふたまわりも大きな人間になっていくのでしょう。
2005-04.18 Mon反日デモは政治的プロパガンダ[世の中]
Time[00:15] Comment[8] Trackback[5]
反中!反中!中国産の製品を買うな!
などという考えは、僕にはまだ生まれてきていません。僕だけでなく、国民の多くがそこまでの反中感情にはなっていないでしょう。その理由は、中国側が本当にしょうもないことをしているからです。あまりに低レベルすぎて、あきれて歯向かう気にもなれません。20年以上前の日中国交正常化の際、「われわれの子孫に歴史の影響をうけさせてはなりません」と言ったのは中国の首相です。その中国側が、今さら過去の歴史にこだわり、しかもよくわからんタイミングでデモ活動を本格化させています。
そいうえばこんなことがありました。先週、中国でのデモ活動が本格的になりつつあった時、横浜にある中国銀行にBB弾が(恐らく日本人によって)打ち込まれました。その事件に関して、中国の外務省はなんと「一種のテロ行為だ」と発言。おいおい…。この発言なんか、もうアホとしか言いようがないですね。小学生でも理不尽な発言だとわかります。それがテロ行為なんやったら、お前らはどれだけテロリストだらけの国やねん。大使館に石を投げ、在中日本人に暴行までしているんですよ。国のスポークスマンがそんなガキんちょのような発言して、情けなくないんやろか。
中国政府はデモ活動を抑制するフリはしていますが、実際は全く止める気がないようです。それはなぜなのか。僕は、反日デモは中国政府の政治的プロパガンダの背景があるからだと思います。
中国国民は子どもの頃から徹底した愛国教育を受けています。ですので中国国民は潜在的に自国への愛国心があります。政府は、国民のその潜在意識を利用しているのだと思います。ましてや中国はネット社会化が急速に進んでいる国。掲示板やチャットなどネット上では先鋭的で過激な発言が飛び交い、その潜在意識を煽り、刺激します。細かいことをよく知らない人でも、洗脳するのは簡単なことなのです。そして逆に言えば、デモ活動をしている人の多くは「よくわからんまま参加している人」です。愛国心と過去の歴史のことしか頭にない、まるで宗教家に洗脳された信者です。事実、デモをお祭りと勘違いして笑っている奴らも多くいました。「日本製品ボイコット!」と叫んでいる中国人の手に、キヤノンやソニーのカメラがあったことには少し笑ってしまいました。よくわからないまま怒りだけが一人歩きしているのでしょう。
話を戻しますが、中国政府は国民のこのような特性を利用してプロパガンダを行っているのです。プロパガンダを行う理由は、国として日本に対する「嫉妬」の意識があるからだと思います。日本との経済格差が縮まらず、大国意識だけが増大している中国。そして安保理の常任理事国に立候補し、国際社会で大きな力を持とうとしている日本。さらに尖閣諸島の領有権問題や東シナ海のガス田をめぐる問題など、一歩でも引き下がると国際的にも経済的にも日本に先をいかれてしまいます。中国は、小泉首相の靖国神社参拝や教科書問題、そして第二次世界大戦でナチス・ドイツの味方をしたことなど、歴史的な理由で日本を攻めることができると判断したのでしょう。それを「国民のデモ」という形で表現し、国民や日本、そして各国にアピールしたのです。また、それとは別の理由に、貧富格差の問題もあります。中国は市場の発展や自由・公正競争の形成を防げ、国民の貧富の差が激しい状況。国民の注目がそちらに集まると、間違いなく政府が国民から非難を浴びます。反日感情を煽りデモを起こさせることにより、国民の目をそこから逸らすという目的もあったと思います。
日本が今すべきことは、「大人の対応」です。過激なリアクションを起こさず、冷静にアホの攻撃をかわしていけば良いと思います。とりあえず小泉サンは、靖国神社の参拝をしばらく控えるべきでしょう。
などという考えは、僕にはまだ生まれてきていません。僕だけでなく、国民の多くがそこまでの反中感情にはなっていないでしょう。その理由は、中国側が本当にしょうもないことをしているからです。あまりに低レベルすぎて、あきれて歯向かう気にもなれません。20年以上前の日中国交正常化の際、「われわれの子孫に歴史の影響をうけさせてはなりません」と言ったのは中国の首相です。その中国側が、今さら過去の歴史にこだわり、しかもよくわからんタイミングでデモ活動を本格化させています。
そいうえばこんなことがありました。先週、中国でのデモ活動が本格的になりつつあった時、横浜にある中国銀行にBB弾が(恐らく日本人によって)打ち込まれました。その事件に関して、中国の外務省はなんと「一種のテロ行為だ」と発言。おいおい…。この発言なんか、もうアホとしか言いようがないですね。小学生でも理不尽な発言だとわかります。それがテロ行為なんやったら、お前らはどれだけテロリストだらけの国やねん。大使館に石を投げ、在中日本人に暴行までしているんですよ。国のスポークスマンがそんなガキんちょのような発言して、情けなくないんやろか。
中国政府はデモ活動を抑制するフリはしていますが、実際は全く止める気がないようです。それはなぜなのか。僕は、反日デモは中国政府の政治的プロパガンダの背景があるからだと思います。
中国国民は子どもの頃から徹底した愛国教育を受けています。ですので中国国民は潜在的に自国への愛国心があります。政府は、国民のその潜在意識を利用しているのだと思います。ましてや中国はネット社会化が急速に進んでいる国。掲示板やチャットなどネット上では先鋭的で過激な発言が飛び交い、その潜在意識を煽り、刺激します。細かいことをよく知らない人でも、洗脳するのは簡単なことなのです。そして逆に言えば、デモ活動をしている人の多くは「よくわからんまま参加している人」です。愛国心と過去の歴史のことしか頭にない、まるで宗教家に洗脳された信者です。事実、デモをお祭りと勘違いして笑っている奴らも多くいました。「日本製品ボイコット!」と叫んでいる中国人の手に、キヤノンやソニーのカメラがあったことには少し笑ってしまいました。よくわからないまま怒りだけが一人歩きしているのでしょう。
話を戻しますが、中国政府は国民のこのような特性を利用してプロパガンダを行っているのです。プロパガンダを行う理由は、国として日本に対する「嫉妬」の意識があるからだと思います。日本との経済格差が縮まらず、大国意識だけが増大している中国。そして安保理の常任理事国に立候補し、国際社会で大きな力を持とうとしている日本。さらに尖閣諸島の領有権問題や東シナ海のガス田をめぐる問題など、一歩でも引き下がると国際的にも経済的にも日本に先をいかれてしまいます。中国は、小泉首相の靖国神社参拝や教科書問題、そして第二次世界大戦でナチス・ドイツの味方をしたことなど、歴史的な理由で日本を攻めることができると判断したのでしょう。それを「国民のデモ」という形で表現し、国民や日本、そして各国にアピールしたのです。また、それとは別の理由に、貧富格差の問題もあります。中国は市場の発展や自由・公正競争の形成を防げ、国民の貧富の差が激しい状況。国民の注目がそちらに集まると、間違いなく政府が国民から非難を浴びます。反日感情を煽りデモを起こさせることにより、国民の目をそこから逸らすという目的もあったと思います。
日本が今すべきことは、「大人の対応」です。過激なリアクションを起こさず、冷静にアホの攻撃をかわしていけば良いと思います。とりあえず小泉サンは、靖国神社の参拝をしばらく控えるべきでしょう。
2005-04.11 Mon勝手に映画批評3[映画]
Time[23:44] Comment[6] Trackback[7]
【SAW(ソウ)】 7点
おもしろいんじゃないでしょうか。
まず始まりが良い。「目覚めたら…」みたいな感じで始まり、謎めいたスタートが良かったです。忘れたけど、ナントカいう映画もこんな始まりやったような。映画自体の企画もさることながら、最後のオチが良かった。途中、「これはオチが難しいやろな〜」と思いながら見てましたが、最後になかなか見事なオチを用意してくれました。「お前かえ〜!」みたいな。このオチがなければ、10点満点で3点くらいだったでしょうね。ただそのオチに、次回作への含みがガンガンに伝わってきたのが残念。結局犯人が誰かを明らかにせず、この映画がウケてパート2を作る時のために謎のまま終わらせたのでしょう。それを感じた瞬間は少し冷めてしまいました。
主役(?)の二人には、「助かってくれ!」みたいな感情は全く生まれませんでした。アダムはどこまで被害者なんかわからんし、ゴードンは結局浮気してた人なんで、その時点で家族を想う気持ちも客には伝わりません。そういう意味では、見ていてすごく客観的になれました。それが監督の狙いなのかもしれませんね。あと、あの刑事サンの存在は何だったんでしょう?全くストーリーに関係のない存在で、しかもあんなアホらしい死に方。僕には理解できません。もしかしたらあの刑事は、犯人への手がかりを何かしら残した人物なのではないでしょうか。それが何なのかはよくわかりませんけど。それと、ジグソウの“ゲーム”になぜアダムのような人物が参加させられたのかもよくわかりません。参加する人にはある共通点があったはずです。アダムに関しては…?誰か知ってたら教えてください。
こうやって色々考えてる時点で、僕はすでにこの映画にヤラれてるんでしょう。テンポも良く、時間もグダグダ長くなくて良い。アリな映画です。悔しいけど、次回作がもしあるのなら見に行きます。
【メメント】 6点
まあまあおもしろかった。
ラストシーンを先に見せ、そこから過去に遡っていくという一風変わった手法は、特にこのストーリーの場合は有効だったと思います。この手法によって見てる人が、10分しか記憶を保持できない主人公・レナードと同じ立場に立つことができ、一種の類似体験のような効果を与えていたと思います。レナードの謎めく心境を感じさせるにはエエ方法でした。モノクロシーンとカラーのシーンの意味がもう一つよくわからんかったけど、逆行していくストーリーを整理するには良いブレイクタイムになっていました。監督の意図とは違うんやろうけど、そこには特に違和感は感じんかった。
ただ、肝心のストーリーは特に良いとは思いませんでした。単に「妻を殺した相手に復讐をする」だけ。記憶できないことに絡めた細かい部分でおもしろさは感じましたが、全体的にはフツー。ちゃんと過去から見ていけば、「あっそう」で終わっていたでしょう。遡っていく手法だけに、細かいストーリーが理解しにくく、「え?どういうこと?さっきの場面どんなんやったっけ?」と思う部分が何度かあった。忘れまくる主人公とは逆に、見てる方はいっぱい覚えとかな理解できないなんて、不思議な映画ですね。もう一回見たら良く理解できるんでしょうが、それと映画のおもしろさは別です。だから見ません。
レナードが人を殴ろうと思って酒のビンを手にし、その直後「あれ、酒には酔ってないぞ…」というシーンには、少し笑ってしまいました。記憶が10分しか持てないというアイデアは、かなりおもしろいと思います。
【オペラ座の怪人】 4点
う〜ん、期待してた割には…。
ミュージカルを見たことがある人は、比較的評価の高い映画のような気がします。それはやはりミュージカル版と映画版とを比べているからなんでしょう。映画はミュージカルと違い、音響や映像などの演出に様々なバリエーションがあり、多彩な表現が可能です。高評価につながったのは、その部分で新鮮味があったからじゃないでしょうか。
ちなみに、僕はこの映画版がはじめて。ストーリーも全く知らないまま見に行きました。見終わった最初の感想は、「歌うシーンが多すぎ」。僕はもともとミュージカル調の映画(サウンド・オブ・ミュージックやダンサー・イン・ザ・ダークなど)は嫌いじゃないんですが、この映画はストーリーに大きく関係のないシーンでもダラダラ歌い続けていて、退屈に感じる時もありました。「早よ話進めろや!」って感じで。「もともとミュージカルの作品だからしょうがない」と言う人がいましたが、これは映画です。歌いまくりが良いのならミュージカルを見に行けば良いんじゃないでしょうか。映画は映画として、ミュージカル作品とは違った見せ方をして欲しかったのに、これはミュージカルをそのまま映画化した作品でした。個人的にはそこが残念です。
映像・音響はさすがに凄いと思いました。でも、ストーリー性が低い。ミュージカルでは高めきれない部分はそこだったのに、残念です。そのせいか、ファントムにもクリスティーヌにもラウルにも気持ちが入っていけず、感動も切なさも感じません。クリスティーヌとラウルの恋愛なんか、なーんもストーリーになってへんから「そんな簡単に愛が芽生えるんか?」と疑問に思いました。
おもしろいんじゃないでしょうか。
まず始まりが良い。「目覚めたら…」みたいな感じで始まり、謎めいたスタートが良かったです。忘れたけど、ナントカいう映画もこんな始まりやったような。映画自体の企画もさることながら、最後のオチが良かった。途中、「これはオチが難しいやろな〜」と思いながら見てましたが、最後になかなか見事なオチを用意してくれました。「お前かえ〜!」みたいな。このオチがなければ、10点満点で3点くらいだったでしょうね。ただそのオチに、次回作への含みがガンガンに伝わってきたのが残念。結局犯人が誰かを明らかにせず、この映画がウケてパート2を作る時のために謎のまま終わらせたのでしょう。それを感じた瞬間は少し冷めてしまいました。
主役(?)の二人には、「助かってくれ!」みたいな感情は全く生まれませんでした。アダムはどこまで被害者なんかわからんし、ゴードンは結局浮気してた人なんで、その時点で家族を想う気持ちも客には伝わりません。そういう意味では、見ていてすごく客観的になれました。それが監督の狙いなのかもしれませんね。あと、あの刑事サンの存在は何だったんでしょう?全くストーリーに関係のない存在で、しかもあんなアホらしい死に方。僕には理解できません。もしかしたらあの刑事は、犯人への手がかりを何かしら残した人物なのではないでしょうか。それが何なのかはよくわかりませんけど。それと、ジグソウの“ゲーム”になぜアダムのような人物が参加させられたのかもよくわかりません。参加する人にはある共通点があったはずです。アダムに関しては…?誰か知ってたら教えてください。
こうやって色々考えてる時点で、僕はすでにこの映画にヤラれてるんでしょう。テンポも良く、時間もグダグダ長くなくて良い。アリな映画です。悔しいけど、次回作がもしあるのなら見に行きます。
【メメント】 6点
まあまあおもしろかった。
ラストシーンを先に見せ、そこから過去に遡っていくという一風変わった手法は、特にこのストーリーの場合は有効だったと思います。この手法によって見てる人が、10分しか記憶を保持できない主人公・レナードと同じ立場に立つことができ、一種の類似体験のような効果を与えていたと思います。レナードの謎めく心境を感じさせるにはエエ方法でした。モノクロシーンとカラーのシーンの意味がもう一つよくわからんかったけど、逆行していくストーリーを整理するには良いブレイクタイムになっていました。監督の意図とは違うんやろうけど、そこには特に違和感は感じんかった。
ただ、肝心のストーリーは特に良いとは思いませんでした。単に「妻を殺した相手に復讐をする」だけ。記憶できないことに絡めた細かい部分でおもしろさは感じましたが、全体的にはフツー。ちゃんと過去から見ていけば、「あっそう」で終わっていたでしょう。遡っていく手法だけに、細かいストーリーが理解しにくく、「え?どういうこと?さっきの場面どんなんやったっけ?」と思う部分が何度かあった。忘れまくる主人公とは逆に、見てる方はいっぱい覚えとかな理解できないなんて、不思議な映画ですね。もう一回見たら良く理解できるんでしょうが、それと映画のおもしろさは別です。だから見ません。
レナードが人を殴ろうと思って酒のビンを手にし、その直後「あれ、酒には酔ってないぞ…」というシーンには、少し笑ってしまいました。記憶が10分しか持てないというアイデアは、かなりおもしろいと思います。
【オペラ座の怪人】 4点
う〜ん、期待してた割には…。
ミュージカルを見たことがある人は、比較的評価の高い映画のような気がします。それはやはりミュージカル版と映画版とを比べているからなんでしょう。映画はミュージカルと違い、音響や映像などの演出に様々なバリエーションがあり、多彩な表現が可能です。高評価につながったのは、その部分で新鮮味があったからじゃないでしょうか。
ちなみに、僕はこの映画版がはじめて。ストーリーも全く知らないまま見に行きました。見終わった最初の感想は、「歌うシーンが多すぎ」。僕はもともとミュージカル調の映画(サウンド・オブ・ミュージックやダンサー・イン・ザ・ダークなど)は嫌いじゃないんですが、この映画はストーリーに大きく関係のないシーンでもダラダラ歌い続けていて、退屈に感じる時もありました。「早よ話進めろや!」って感じで。「もともとミュージカルの作品だからしょうがない」と言う人がいましたが、これは映画です。歌いまくりが良いのならミュージカルを見に行けば良いんじゃないでしょうか。映画は映画として、ミュージカル作品とは違った見せ方をして欲しかったのに、これはミュージカルをそのまま映画化した作品でした。個人的にはそこが残念です。
映像・音響はさすがに凄いと思いました。でも、ストーリー性が低い。ミュージカルでは高めきれない部分はそこだったのに、残念です。そのせいか、ファントムにもクリスティーヌにもラウルにも気持ちが入っていけず、感動も切なさも感じません。クリスティーヌとラウルの恋愛なんか、なーんもストーリーになってへんから「そんな簡単に愛が芽生えるんか?」と疑問に思いました。
2005-04.07 Thuある朝の情景[ライフ]
Time[22:52] Comment[6] Trackback[0]
朝7時。
私は目覚めてまず、昨日駅からタクシーで家に帰ったことを悔やんだ。
660円だったタクシー代のことではなく、自転車を駅に置きっぱなしにしたことだ。
「あーダルいな。今日は駅までバスや〜」と、心の中で呟く。今日も会社だ。
バスで駅まで行く時は、いつもより5分早く家を出なければいけない。
私はその5分が辛かった。
朝の5分がどれほど貴重か、私は社会人になってから痛いほど感じていた。
いつもより5分早い、7時55分に家を出た私は、歩いてバス停に向かった。
バス停までは家から徒歩3分。何かを考える暇もなく、バス停に着いた。
時刻表を見ると、あと1分でバスが来る。
二百円を財布から取り出し、乗る準備は万端だ。
予定の時刻を3分過ぎたが、バスは来ない。
「朝やから道が混んでるんやな」と、私は自分に言い聞かせる。
まだまだ電車には間に合う時間だ。そんなに慌てる必要もない。
ケータイを意味もなくいじりながら、バスがくるのを待った。
予定の時刻から5分が過ぎた。
電車の時刻から逆算しながら、何度も時計を見る。
まだ間に合う。
今日は五十日だからいつも以上に道が混んでるのだろう、
と無理矢理納得している私がいた。
予定の時間から7分。
私は10秒に一度の割合で時計を確認する。
腕の動きも素早い。腕時計もびっくりしている。
今すぐ来ないと電車に間に合わない。
今からタクシーで行くか、遅刻を覚悟で待ち続けるか。脳が高速で回転する。
この時、私はあることに気付き愕然とする。
「…歩いていったらよかったんや」。
私は込み上げる怒りを抑えながら、平然な顔で時計を見る。
バスはまだ来ない。
そして待ち始めて10分。バスの姿が見える。
私は砂漠の中でオアシスを見つけた人の気持ちが、数%だけわかった気がした。
だがそれでも怒りはおさまらない。
「ここまで遅れたら、運転手も平謝りだろう」と、
私は運転手からの謝罪の言葉を予想した。
バスが着き、ドアが開く。運転手からの謝罪の声を待つ。
しかし、そこは無言の空間だった。
私は二百円を払いながら、「遅いですね」と言った。
すると運転手は、私の目さえも見ずに「あ〜すみません」と返した。
そこに心はなかった。
バスの来る時間は、遅れるのが当たり前なのだろうか?
電車は3分でもダイヤが乱れたら、
車内放送の度に「お詫び申し上げます」と繰り返す。
バスは10分遅れてもこの有様だ。
交通渋滞は仕方がないが、それなら時刻表を改訂すれば良い。
当たり前のように遅れてくるバスを、運転手を、私は許すことができない。
そんなことを思いながら、今日がはじまる。
私は目覚めてまず、昨日駅からタクシーで家に帰ったことを悔やんだ。
660円だったタクシー代のことではなく、自転車を駅に置きっぱなしにしたことだ。
「あーダルいな。今日は駅までバスや〜」と、心の中で呟く。今日も会社だ。
バスで駅まで行く時は、いつもより5分早く家を出なければいけない。
私はその5分が辛かった。
朝の5分がどれほど貴重か、私は社会人になってから痛いほど感じていた。
いつもより5分早い、7時55分に家を出た私は、歩いてバス停に向かった。
バス停までは家から徒歩3分。何かを考える暇もなく、バス停に着いた。
時刻表を見ると、あと1分でバスが来る。
二百円を財布から取り出し、乗る準備は万端だ。
予定の時刻を3分過ぎたが、バスは来ない。
「朝やから道が混んでるんやな」と、私は自分に言い聞かせる。
まだまだ電車には間に合う時間だ。そんなに慌てる必要もない。
ケータイを意味もなくいじりながら、バスがくるのを待った。
予定の時刻から5分が過ぎた。
電車の時刻から逆算しながら、何度も時計を見る。
まだ間に合う。
今日は五十日だからいつも以上に道が混んでるのだろう、
と無理矢理納得している私がいた。
予定の時間から7分。
私は10秒に一度の割合で時計を確認する。
腕の動きも素早い。腕時計もびっくりしている。
今すぐ来ないと電車に間に合わない。
今からタクシーで行くか、遅刻を覚悟で待ち続けるか。脳が高速で回転する。
この時、私はあることに気付き愕然とする。
「…歩いていったらよかったんや」。
私は込み上げる怒りを抑えながら、平然な顔で時計を見る。
バスはまだ来ない。
そして待ち始めて10分。バスの姿が見える。
私は砂漠の中でオアシスを見つけた人の気持ちが、数%だけわかった気がした。
だがそれでも怒りはおさまらない。
「ここまで遅れたら、運転手も平謝りだろう」と、
私は運転手からの謝罪の言葉を予想した。
バスが着き、ドアが開く。運転手からの謝罪の声を待つ。
しかし、そこは無言の空間だった。
私は二百円を払いながら、「遅いですね」と言った。
すると運転手は、私の目さえも見ずに「あ〜すみません」と返した。
そこに心はなかった。
バスの来る時間は、遅れるのが当たり前なのだろうか?
電車は3分でもダイヤが乱れたら、
車内放送の度に「お詫び申し上げます」と繰り返す。
バスは10分遅れてもこの有様だ。
交通渋滞は仕方がないが、それなら時刻表を改訂すれば良い。
当たり前のように遅れてくるバスを、運転手を、私は許すことができない。
そんなことを思いながら、今日がはじまる。
2005-04.05 Tue環境問題は宗教を越えられるか[世の中]
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12月に起きたスマトラ沖地震。なんとマグチュード9.4であったことが今日のニュースでわかりました。観測史上最大であるチリ地震(M9.5)につづく大地震。先週再び起きた大地震もマグチュード8.7と凄まじく、犠牲者・行方不明者は合計で30万人近くらしい。
その大地震・大津波による犠牲者は、基本的には火葬でなく、土葬されることになっています。感染症の発生を懸念した政府が、最初は火葬にすると発表。しかし火葬の習慣がないイスラム教徒の多くがこれに反発したため、その後土葬に変更されました。宗教上の対立は、時に争いやテロを招く危険性があります。ましてや災害で混乱してる中、宗教問題を引き起こすと復興なんてできなくなります。土葬ならその後掘り起こして火葬にすることもでき、火葬が基本の宗教にも示しがつきます。火葬から土葬に変更したのはそういう理由からでしょう。しかし、二次災害や環境問題を考えると、土葬は決して良い方法ではありません。
土葬は火葬に比べると、地球環境に悪い影響を及ぼします。感染症が広がる可能性があり、また土の中で疫病の感染源が生き続け、土壌汚染などの環境破壊にも繋がります。スマトラ沖地震での死者数を考えると、この観点ではどう考えても火葬すべきでした。結果的に感染症が広がることはありませんでしたが、それは結果論です。「宗教上の争いという二次災害」を防ぐという意味では、ある意味無難な方法だったのかもしれません。しかし、宗教問題はしょせん人間同士の問題。地球環境を本気で考えるのであれば、人間同士の思想の違いは低い次元の話になるではないのでしょうか。無宗教の僕にとっては「もっと大切なことがあるやろ!」と思ってしまいます。
アメリカは環境問題を考え、徐々に火葬が増えていっています。キリスト教では火葬が受け入れられていなかったのですが、さすが自由の国って感じですね。中国や韓国などでも、同じく火葬が増えています。火葬にはダイオキシンという新たな問題があり、最良の方法かどうかはまだ疑問です。しかし世界中の専門家たちが宗教を無視し、最も地球に優しい葬儀方法を研究すれば、きっとよりよい方法が見つかるでしょう。
愛知万博では「自然の叡智」などとぬかしていますが、世界中にはまだ「偉いのは人間様じゃい」という考えがあるような気がします。火葬から土葬に変更されたことは、まさにそれを象徴している事例でしょう。宗教さえも無視して世界中が環境問題に取り組むには、地球の滅亡が現実味を帯びてきた時まで待たないといけないのかもしれませんね。
その大地震・大津波による犠牲者は、基本的には火葬でなく、土葬されることになっています。感染症の発生を懸念した政府が、最初は火葬にすると発表。しかし火葬の習慣がないイスラム教徒の多くがこれに反発したため、その後土葬に変更されました。宗教上の対立は、時に争いやテロを招く危険性があります。ましてや災害で混乱してる中、宗教問題を引き起こすと復興なんてできなくなります。土葬ならその後掘り起こして火葬にすることもでき、火葬が基本の宗教にも示しがつきます。火葬から土葬に変更したのはそういう理由からでしょう。しかし、二次災害や環境問題を考えると、土葬は決して良い方法ではありません。
土葬は火葬に比べると、地球環境に悪い影響を及ぼします。感染症が広がる可能性があり、また土の中で疫病の感染源が生き続け、土壌汚染などの環境破壊にも繋がります。スマトラ沖地震での死者数を考えると、この観点ではどう考えても火葬すべきでした。結果的に感染症が広がることはありませんでしたが、それは結果論です。「宗教上の争いという二次災害」を防ぐという意味では、ある意味無難な方法だったのかもしれません。しかし、宗教問題はしょせん人間同士の問題。地球環境を本気で考えるのであれば、人間同士の思想の違いは低い次元の話になるではないのでしょうか。無宗教の僕にとっては「もっと大切なことがあるやろ!」と思ってしまいます。
アメリカは環境問題を考え、徐々に火葬が増えていっています。キリスト教では火葬が受け入れられていなかったのですが、さすが自由の国って感じですね。中国や韓国などでも、同じく火葬が増えています。火葬にはダイオキシンという新たな問題があり、最良の方法かどうかはまだ疑問です。しかし世界中の専門家たちが宗教を無視し、最も地球に優しい葬儀方法を研究すれば、きっとよりよい方法が見つかるでしょう。
愛知万博では「自然の叡智」などとぬかしていますが、世界中にはまだ「偉いのは人間様じゃい」という考えがあるような気がします。火葬から土葬に変更されたことは、まさにそれを象徴している事例でしょう。宗教さえも無視して世界中が環境問題に取り組むには、地球の滅亡が現実味を帯びてきた時まで待たないといけないのかもしれませんね。