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もしオリンピックが、4年間の苦労が大きい順番に順位が決まっていくものだとしたら、どんなに感動的で、どんなにつまらない大会になるだろう。トリノオリンピック女子フィギュアスケート。フリーの演技を見終わって、私はこう思った。金メダルの最有力候補と言われ続けてきた女王・スルツカヤが、無欲の日本人に完敗した瞬間だった。

思えば4年前のソルトレークシティー。地元米国の新星サラ・ヒューズに逆転を許し銀メダルに終わったとき、人目をはばからず大泣きした彼女の姿が今も目に焼き付いている。そこからの4年間、彼女はスケート選手としてではなく、一人の人間としてどん底を味わうことになった。地元ロシアで開かれた03年のグランプリファイナル。観戦に来ていた母の体調が腎臓病で突然悪化。看病のため、世界女王は世界選手権を辞退した。「スポーツは数年、家族は一生」と話した彼女の言葉に、ウソは全くなかっただろう。

同じ年、彼女を原因不明の発熱、手足のむくみ、内出血が襲う。「自己免疫疾患」という難病。それでも彼女は氷の上に立ち、歯を食いしばりジャンプを繰り返した。そして04年には圧倒的な強さでグランプリシリーズロシア杯、グランプリシリーズファイナル、ヨーロッパ選手権、世界選手権でいずれも優勝。苦難を乗り越えた女王は一回りも二回りも大きくなり、周囲の期待はまたもや「オリンピックで金メダル」になった。彼女自身も、ソルトレークの雪辱をトリノで期すことしか考えられなくなっていたに違いない。

そして迎えたトリノ五輪。ショートプログラムの「死の舞踏」は、彼女の壮絶な人生を表すかのように華麗で美しく、そして悲しげに見えた。4年前の涙、母親の病気、自身の病気、医療費、生活費・・・。重すぎる重圧がフリーの演技で彼女を転倒させた。その瞬間、ほんの一瞬だけ天を仰ぐ。演技が終了し得点が発表されると、笑顔で悔しがる彼女の姿があった。涙が溢れそうでも、心から悔しがりたくても、それを全世界に見せることができなかった。彼女にとってこの4年間が何よりも辛い4年間で、誰より堪え忍び頑張った4年間だった。そんな4年間を否定したくないという想い、そして次の4年間をまた堪え忍んでいくことに対する恐怖、その二つがあったのだろう。4年前と違い、人目につかないところで彼女は号泣した。五輪で彼女の演技を見ることはもうできない。

「でも、それが人生」
いつも使う言葉を、スルツカヤはこのトリノでも使った。オリンピックで勝てなかった悲劇の女王は、自身の4年間の苦労を独自の表現で称えていたのだ。その言葉を聞いたとき、彼女の転倒が皮肉にも美しく感じた。

荒川静香の完璧な演技に息絶えた彼女は、表彰台で手を振ることなく、
静かに咳き込んでいた。
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2006.02.27 | スポーツ | トラックバック(1) | コメント(2) |

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