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「それはまるで、独楽の芯のようにきっちりと、ど真ん中に突き刺さっている。東京の中心に。日本の中心に。僕らの憧れの中心に。きれいに遠心力が伝わるよう、測った場所から伸びている。時々、暇を持て余した神様が空から手を垂らして、それをゼンマイのネジのようにぐるぐるまわす。ぐるぐる、ぎりぎり、僕らも回る」

上の文章は、昨年100万部を超える大ベストセラーとなったリリー・フランキー著『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の冒頭部分である。東京タワーはこのように神秘的な描写をもって伝えられることが多く、都会の心を彩る大都会・東京の象徴として存在している。

「夜の東京でふと空を見上げると、そこには光り輝くオレンジ色の塔がある。騒々しく忙しい東京で暮らす人々に“自分自身”という存在を改めて教えてくれる存在かのように、東京タワーはじっとこっちを見つめている」 このような感覚を覚えさせてくれる存在だと、私はまだ見ぬ東京タワーをイメージしていた。しかし先日、生まれて初めて訪れた東京で、私の東京タワーに対するイメージは少し崩れてしまった。

東京の街で空を見上げると、東京タワーを隠すように高層ビルが群がっていた。こんな話をすると反感を食らうかもしれないが、実際、私は高層ビル群の中にある東京タワーを見て、「え?あれって東京タワーじゃなくて、どこにでもあるただのアンテナやろ?」と言ってしまった。それくらい、東京タワーはビルに埋もれていた。もちろん、東京タワーには歴史や伝統があり、人々の心の中で大きな存在となっているのは確かである。しかし、特に思い入れのない大阪人から見たとき、私のように意外な印象を受けることがあるのも事実なのだ。

大阪・梅田のシンボルだったマルビルの電光掲示板は2003年9月、惜しまれつつ姿を消した。現在は親会社の大和ハウス工業が広告を出し、電光掲示板を復活させているが、以前のような存在感には至っていない。そもそも、一度マルビルの電光掲示板が姿を消したのは、他でもない、周りにあるビルの相次ぐ高層化が原因なのだ。周りのビル群のせいで地上から電光掲示板が見えにくくなり、広告としての価値が下がったのである。現在は復活こそしたものの、名物だった回転文字は行っていない。これも梅田にあるビル群の高層化が原因である。

東京タワーやマルビルのような状況はやはり寂しいことであり、できることならその価値を維持しつづけるためにも周辺ビルの高層化を抑制してほしい。東京・銀座のような例もあるが、どこも同じようにはできないのが当然の現実だろう。それは建物だけに限らず、何でもそうなのではないだろうか。たとえ素晴らしいものであっても、周りも同じように素晴らしくなると(もしくは近いものになると)、それ自体の価値は下がってしまう。そうなった場合、寂しさを持ちつつも現実を見据えなければならない。そして可能ならば、さらに素晴らしいものを新たに創造していかなければならないのだ。

2011年、墨田区押上に“第2の東京タワー”なるものが誕生予定らしい。地上デジタル放送の全面移行に対応するためには、現状の東京タワーでは高さが足りないのだそうだ。これにより、“第1の東京タワー”の価値が少なからず何かしら下がってしまうのは必至だろう。もしかしたら“第1の東京タワー”に思い入れのある人は、このニュースにあまり良い印象を受けないかもしれない。しかし高さが足りないのは事実であり、第2の東京タワーを建設しなければならないのも現実だ。心の中に第1の東京タワーの価値を残しつつ、第2の東京タワーの存在を受け入れなければならない。

いつか、第2の東京タワーが東京の中心に、日本の中心に、僕らの憧れの中心に、独楽の芯のようにきっちりと、ど真ん中に突き刺さる日が来ることを信じて。
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2006.05.25 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(2) |

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