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2006-08.26 Sat人生足別離[戯言]

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私には祖父も祖母もいない。私に物心がついたとき、すでに母方の祖母だけが健在だったのだが、その祖母も昨年亡くなった。祖母は90歳を超えており、老衰だった。祖母は亡くなる数ヶ月前から、死んだはずの祖父の幻覚を見たり、現実世界と夢の世界の区別がつかなくなるなど、いわゆる“ボケ”状態にあった。家族や親族はそんな祖母を見て、死期が近いことを覚悟していた。そして祖母は現実世界に別れを告げ、愛する亭主のもとへ向かった。2005年5月のことである。

祖母が亡くなり、私は葬儀に参列した。葬儀といえば、悲しみに暮れ、辛気くさい雰囲気が漂うという印象があるのだが、祖母の葬儀はまったく違った。久しぶりに集まった親族どうしが笑顔で祖母のことを語り合い、談笑する姿がそこにある。まるで祖母がめったに会わない親族を集め、語り合う場所を設けてくれたかのよう。白い顔で目をつぶる祖母の顔は、90数年を生き抜いた達成感でいっぱいに見えた。そんな明るい死を迎えられたのは、死期をみなが覚悟できたこと、すなわち祖母の大往生が大きな要因だったのだろう。

「かっこいい死に方」なんてのを考えたことがあるだろうか。映画のヒーローのように悪者を退治して自分も死ぬ、あるいは誰かを助け、身代わりになって死んでしまう。子どものころはそんな死に方を想像してニンマリしたものだ。自分の死によって泣き崩れる人の顔を思い浮かべ、少しばかりの自己満足に浸ったりしたこともあった。しかし、「最もかっこいい死に方」「最も素晴らしい死に方」の概念は祖母の死によって大きく変えられた。どんなにカッコイイ死に方をしたとしても、周りの悲しみを引き起こす死に方は決して素晴らしいとは言えない。むしろ祖母のように、周りに心の準備をさせ、明るい気持ちで葬儀に迎えられる死の方がよっぽど素晴らしいのではないか、と。

それは死に関することだけではなく、「別れ」に関するすべてのことに言えることだと思う。先日、北海道日本ハムファイターズの新庄剛志選手が突然の引退を発表したが、予期せぬ引退宣言にショックを感じたファンも多かったことだろう。もちろん結局は新庄選手自身の人生のことなので、周りのことなんて関係ないといえば関係ない。しかし視点をファンに変えてみたとき、やはり「残念」「悲しい」「ショック」などという表現が思い浮かぶ。視点によって賛否は分かれるだろうが、周りにできるだけショックを与えないことの素晴らしさというものも、「別れ」において重要な要素ではないだろうか。

「別れ」というものはどんなことであっても悲しいことであり、心の底から嬉しさを感じる別れなんて別れじゃない。しかしどうせ悲しい別れなら、できるだけ悲しみを感じない別れであればより良いに違いない。突然の別れで周りを驚かせ、それに快感を感じたいときもあるのかもしれないが、それは自分視点に偏ったある意味サディスティックな行動である。思いやりがあれば、人にできるだけ悲しみを与えないための行動がとれるはず。「別れ」は人生において避けては通れない経験だが、そこで重要なのは「前に向かって歩きだせる別れ」をつくりだせるかどうか。つくりだしてあげれられるかどうか。

それは、決断する者の思いやりにかかっている。

  

2006-08.01 Tueイスラエル平和物語(前編)[世の中]

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 今日はすばらしく醜い物語をご紹介しましょう。
 これはある一家の物語です。


 むかしむかしあるところに、イスラエールさんというおじさんがいました。イスラエールさんはユダヤ教をしんじる「ユダヤ人」です。イスラエールさんはチュートー村(※1)というところに家をつくり、妻や子どもたちと長いあいだずっとそこで暮らしていました(※2)。しかしある日、村長であるアラブ人のロマさんと大げんかしてしまい(※3)、イスラエールさん一家は島流しの刑をうけました(※4)。それも家族そろってじゃなく、みんなバラバラで。飼っていたペットのエルサレム(※5)はロマさんに奪われ、イスラエールさんの住んでいた家はロマさんの家族が住むことになりました。イスラエールさんは家族がどこに住んでいるのかもわからず、家もなく独りぼっちで生きていくことになったのです(※6)。そこから長い間ずっと、イスラエールさんとその家族はさびしく孤独な毎日をすごすことになるのでした。長い間、ずっとずっと。なんてかわいそうなのでしょう。

 家族と離れ、バラバラで暮らすことになったイスラエールさんは、となり町のヨロッパ村でひっそりと暮らしていましたが、家族がいないということでまわりからいじめられました。「おまえ、ひとりぼっちなのかよー」「家族のいないヤツは出ていけー」「ユダヤなんてキモいー」。言葉だけのいじめだけならまだマシでした。いじめはどんどんひどくなり、村人からは殴られ蹴られ、ぼろぼろにされました。何も悪いことをしていないのに、家族がいないだけで、なぜかいじめられました。なぜなのでしょう。

 そしてある日、多くの村どうしが大げんかしたとき(※7)、イスラエールさんはヨロッパ村のナチさんという悪いひと(※8)に、死んでしまいそうなほどいじめられました(※9)。イスラエールさんは何年も何年もいじめをがまんしてきましたが、ついにそのがまんにも限界がきました。「こんなにいじめられるのは家族がいっしょにいないからだ。やっぱりあの家にもどって、家族みんなで暮らしたい」と思い、ロマさんにうばわれた家をとりもどすため、ヨロッパ村からはるばるチュートー村にむかいました。

 イスラエールさんがチュートー村についたとき、家にはもうロマさんは住んでいませんでした。家はロマさんが手放したあと、いろいろな人の手にわたり、そのときは大金持ちのイギリさんのものになっていました。イギリさんはこの家を、アラブ人のパレスチーナさん一家(※10)に貸していました。表札も「パレスチーナ」という名前に変えられ、家は完全にパレスチーナさんの家になっていました。そこに、家をとりもどそうともどってきたイスラエールさんが乗りこんだのです(※11)。パレスチーナさんは乗りこんでくるイスラエールさんに怒り、ケンカになりました。ちなみパレスチーナさん一家は、イギリさんから別の新しい家をプレゼントされていて、その家にも家族が住んでいました(※12)。イスラエールさんのことをかんがえると、これじゃあ「セコイ!」と思われてもしょうがないかもしれません。

 「家をかえせ!」というイスラエールさんの勢いは強く、パレスチーナさんを殴るだけじゃなく、家の持ちぬしであるイギリさんにまで殴りかかりました(※13)。パレスチーナさんもただ殴られてだまっているわけもなく、殴られたぶん殴りかえしもしました。しかしこのケンカがどんどんひどくなっていくのを見て、たまらくなったイギリさんがコクレン天皇(※14)に「何とかしてください」と頼みにいきました。

 するとコクレン天皇は「この家をイスラエール家とパレスチーナ家で部屋を分けて使いなさい」と言いました(※15)。いまで言えば“二世帯住宅”のようなものです。この言葉をきいたイスラエールさんはとてもよろこびました。パレスチーナ家が家から完全に出ていくわけじゃないのに、とてもとてもよろこびました。「やった、やっとオレたちの家に住める!家族で住める!もういじめられたりしない!」。イスラエールさんはなによりも、家族みんなで自分の家に住めることによろこんだのです。家の持ちぬしだったイギリさんはいやになって「もうこんなややこしい家、いらない」と言って家を手ばなしました。イスラエール家は表札もちゃんとつくり(※16)、はなれていた家族みんなをさがしだしました。半分の部屋だけとはいえ、イスラエールさんの願いはかない、ついに中東市でまた暮らせるようになりました。むかし飼っていたペットのエルサレムは双子のこどもを産んでおり、一匹はイスラエール家が(※17)、もう一匹はパレスチーナ家が(※18)そだてることになりました。いやー、よかったですね。

しかし、そんな家族どうしが同じ家で仲良く暮らせるはずもありません。

ここからお話しはどんどん暗く、みにくくなっていきます。
そして、それはいまも続いているのです。

いつかの後編へつづく


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