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先日、中学受験の奮闘記がテレビで放映されていた。

ある少年は小学生でありながら塾を2つ掛け持ちし、休日は家庭教師とお勉強。親からは自分の部屋以外に“勉強専用”の別部屋が与えられ、そこにはテレビも漫画もなく、好奇心を煽るものは何ひとつない。3歳になる遊びたい盛りの弟は、兄の受験が終わるまで親戚の家に預けられ、家庭は何もかも兄の受験を中心に回っている。見ていると、その家庭は両親ともに収入が高く、受験のためならいくらでもお金を払うという環境。「将来のことを考えると、お金なんて関係ない」。それも収入があってこその発言なのだろう。

フリージャーナリストの林信吾氏は、著書『しのびよるネオ階級社会』のなかでこう記している。「日本でも成果主義の導入で親世代の収入格差が拡大し、それが子供世代の教育格差につながり、その格差が世代を超えて固定化しつつある。言い換えれば、特定の階層が“おいしい仕事”を世襲的に独占する社会になりつつある」。

現代の競争社会において、ある程度の所得格差は当たり前のことであり、格差を存在させない共産主義的発想はあまり相応しくない。しかし、親の所得格差によって子どもの教育に格差が出てきてしまうことはあまり喜ばしいことではない。受験戦争が小学生から始まってしまう世の中、すべての高校生が大学に入学できてしまう世の中、運命のカギを握るのは「親の収入」になってしまうのか。あくまでも優秀な人が高収入を得る世の中であるべきで、優秀になれるチャンスはできるだけすべての子どもに与えてほしい。貧乏な家庭の子どもにだって、眠れる大きな才能があるはずだ。

貧乏な家庭の子でも、公立でしっかり勉強すればいい。そんな時代が過去のことのように思える。私立に通ってエリートコースを進むことが、優秀な人間への近道になっている。親になる世代として、私たちはいま何をすべきなのか。

2007.02.12 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(0) |












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