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梅雨入りしたというのに、すでに夏を思わせる陽気が続いている。街にはキャミソールなどで肌を露出した女性が歩き、男性は目のやり場に困る一方、ついついそこに目がいってしまう。その露出度は年々増しているようで、夏が来るたびその露出度に驚かされる。肌の露出だけでなく、最近は下着を敢えて見せるというファッションも登場。曰く、「見せてもいいブラ」、略して「見せブラ」らしい。敢えてブラジャーを見せることがオシャレというファッションなのだが、この「見せてもいい」とは一体誰が決めたのだろうか?

知り合いの女性数人に話を聞いたところ、「普通の下着にあるようなレースの部分がなく、あまりいやらしく見えない」から、“見せてもよい”のだそうだ。「いやらしい・いやらしくない」が基準の一つだとすると、男性からの目もある程度は意識しているように思える。しかし男性にしてみると、レースがあろうがなかろうが、ブラジャーを見せている時点である程度のいやらしさや色っぽさを感じてしまう。

もしこの「見せてもいい」という基準が、本人の意識だけの問題であるならば、世の中は“自由”に、そして“何でもアリ”になってしまう。
「おいお前、○○○が丸見えだぞ!」
「ああ、これは“見せ○○○”だから別に見えてもいいんだよ」
「そうか!じゃあいいや」

言ってみればこの○○○には何が入っても良いのである。本人が「見せてもいい」と思いさえすれば。そう考えると、例え猥褻物陳列罪で逮捕されても、「これは見せても良い×××なのでOKなんです」と警察に言えば済むことになる。かなり極端な例だが、理屈で考えるとそうなってしまう。

国際日本文化研究センター助教授の井上章一さんは、著書『パンツが見える。 羞恥心の現代史』(朝日選書)の中でこう書いている。「何が恥ずかしいかという羞恥心と、何に興奮するかという欲情は、時代によって変化する。つまり歴史的に形成される文化である」。羞恥心は文化であり、羞恥心は文化によって変化するもの。言い方を変えると、羞恥心は時代の変化に対応していかなければならないのだ。それは「下着を見る方」も、「下着を見られる方」も両方である。

「戦前の女性はパンツが見えても別に恥ずかしいとは感じなかった。女性がパンツが見えることを恥ずかしがり、男性がパンチラを喜ぶようになったのは1950年代後半くらいからである」。井上さんは著書でこのようにも書いている。何十年も前、多くの女性が和服を身につけていた時代、下着は日本に存在していなかった。女性たちは皆、ノーパンで和服を身につける。そしてふとしたはずみでチラリと見えてしまうのは、パンツなどではなかったのだ。「陰部を見られても、ある程度は仕方ない」、それが戦前の女性たちの感覚だったのではないか。そしてそれこそが、「文化」と呼ばれるものなのである。

「見せてもいい住所・電話番号」が、ふと気が付けば「見せてはいけない住所・電話番号」に変わっていた世の中。良く言えばそれも時代の変化であり、文化でもある。そしてそれにより、人々は自らのの意識も変えていかなければならないのだ。

2005.06.26 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(3) |

etsu180cmさんの着眼点、ツボにはまりました。
私はローライズのジーンズを愛用しているため、
しゃがむとパンツのスソがはみでてしまうという
悩みを抱えているのですが、個人的には見せパンと
開き直ってしまうよりも、やはり恥ずかしいものとして
捉えたほうが淑女度がアップするのではないかと思っています。

2005.06.27 14:46 URL | ぎぃやま #- [ 編集 ]

>ぎぃやまさん
どうもどうも。コメントありがとうございます!

『恥ずかしいものとして捉えたほうが淑女度がアップする』
う~ん、確かに。
やっぱり守るべきところは守らないとね。
見られてしまったものは仕方ないとしても、
せめて意識ぐらいは。

ぶっちゃけ、男の立場からしても、
淑女の下着を見た方が得した気分になります。
男ってそんなもんですな。

2005.06.28 00:20 URL | エツ #- [ 編集 ]

露出した女性 ROCK!

2005.08.26 07:24 URL | U fucker #os0Ai/lI [ 編集 ]












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