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海について

海は、人々が歩むストーリーの縮図である。
寄せる波、返す波、大きい波、小さい波、崩れる波、美しい波。
砂浜に降りた少年は、ザザーと奏でる波音に引き寄せられ、
ユラユラ揺れる、キラキラ光る海をめざす。

そこで見えるものは
出会い、別れ、喜ぶこと、悲しむことに代表される、人として歩むであろう道。
ときにそれは太陽のさす海のように、水しぶきひとつひとつが輝くドラマのように感じられ、
ときにそれは夜の海岸のように、子どものイジメくらい残酷に「絶望感」を与えつづける。
水面がうつす表情は鮮やかに色分けされ、
日々の暮らしで感じる喜怒哀楽の移り変わりの妙を映し出すよう。

月の光は、夜の海が映しだす暗闇の恐怖あふれるストーリーを
プラスの意味合いに感じられる落ちついた海の色、地平線の色に変える。
そこには悲しい雰囲気がいくつも残っているのだが、本人はそれに気づかない。

海の表情は無限大で、人生の表情も無限大。
季節、天気、昼夜、キャスティング、音、その組み合わせで、
海が織りなす物語のすべては変わっていく。
その海のむこうにあるものは、いったい何だろう。


雨について

雨は、自らを守るものや支えるものの存在を教える教師である。
ザーザー降る雨のなか、歩く人の群れにはカラフルな傘が飾られる。
それは人々の生活のなかで信じられる存在となりえる「支え」をあらわし、
雨はその大きさを改めて知らしめる。

雨音が激しくなると、小さな傘では守りきれない。
新たな支えを探すか、手持ちの傘を大切にじっと我慢し歩き続けるか、
それは雨を感じたその人の感情、考えによる。

しとしと降る雨を横目に我が家で過ごすひとときは、
しっとりと落ち着いた気持ちで自らを見つめさせる。
魔法のバリヤーで守られているかのように、
大戦争のなか核シェルターで過ごしているかのように、
雑音をカットし、自らの存在、支えの存在をかみしめさせる。

雨は忘れていたものを教えてくれる教師のよう。
ときにはカミナリで激しく叱咤し、ときには梅雨の雨でネチネチ嫌みを言う。
ワイパーを止め、雨音激しい窓を見つめてみると感じられる。
ずぶ濡れで嵐のなか、傘をささず走ってみると感じられる。
そしてときには鼻唄でも歌いながら、小さな傘をさして歩くと良い。

2006.07.09 | 戯言 | トラックバック(0) | コメント(1) |

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2006.07.19 11:41  | # [ 編集 ]












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