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ZARDの坂井泉水さんが亡くなって、農林水産大臣の松岡さんも亡くなって、今日もなんか緑ナントカ機構のオッサンが亡くなって、世の中は“死”のニュースばっか。親が子を殺したり、子が親を殺したり、そんなんばっか。「あの、高校生が親を殺したニュース、知ってる?」とか言っても、そんなニュースがいくつもあってどれがどれなのかがわからん。この年になると、リアルに考えられる未来がけっこう先にまで広がっていて、自分の子どもが産まれたり成長したり、親類が寿命で死んじゃったりすることが、昔に比べるとリアルに考えられるようになった。だから、死ぬっていう悲しさとか長生きするっていう意味もある程度リアルに理解できたりもする。

坂井泉水さんが死んだ理由はまだわからないみたいだが、このニュースを聞いて自然に思ったことがあって、そのことに自分でびっくりした。それは、自殺か事故かわからない坂井さんの死に対して「自殺なんて・・・」って思う一方で「事故よりは自殺の方がまだマシ」って思う自分もいたこと。今まで、自殺なんかアホらしい、ありえない、ってずっと思ってきた自分が、自然にそんなことを思っていたことにびっくりした。なんでそんなことを思ったかを考えてみると、あんなに才能があって周りからの支持も高い人が、不慮の事故で死んでしまうのはあまりにももったいないって思ったから。もし事故に遭っていなかったら、これからもすばらしい作品を提供してくれたのかもしれない。そう思うと、事故死ではファンもやりきれないんじゃないかなって思った。

それに比べると、彼女自身で自らの人生を終わらせる方がまだ諦めがつくんじゃないかなって感じた。彼女の選んだ道だから仕方がないのかも。そう思うと、ガンとの闘いを続けた彼女に「お疲れさま」とでも心の中で声をかけることもできるような気がする。・・・ってまあ、そんなことを自然に考えてた自分がいて、何か「自分の考え方も変わったのかなあ」みたいに思った。もちろん自殺はアカンって思うし、絶対にしてほしくないこと。その考えは今までと変わらないのだが、坂井さんがすで死んでしまった今この状況で、自殺か事故かわからない彼女に対してだからそんなことを思った。それが良いか悪いかはよくわからんけど。

そんなニュースが流れる中、自分の周囲では幸せなことや悲しいこと、楽しいこと、腹が立つこととかがいつも通りにいっぱい存在している。世の中に巻き起こっている生死のニュースに比べたら、もちろん大ごとではないようなことばかり。でも、ニュースに比べるとはるかに自分に関係のある身近なことなので、そのたびに感情が起伏する。なんか、何が重要で何が重要なのか、考え過ぎたらよくわからんようになるわ。

ニュースって、見過ぎるとあまり良くないものなのかもしれない。ほとんどがマイナス情報。誇張して報道したり、時にはウソだったりすることもある。ネット上の掲示板なんてウソとか中傷とか差別とかが溢れていて、人間にとって負の影響を与える空気ばかり。そんなことに時間をかけるのであれば、キレイごとを伝えてくれる映画とか音楽を楽しむ方がよっぽどいいと思うことがある。

人の心の中って、たまに洗ってやらないと落ちない汚れが増えてしまうと思う。それを怠ると、幸せなことを素直に祝ったり、理不尽なことに腹を立てたり、そんなことがあまりできない人間になってしまう。そんな人って少なからず世の中にいるんちゃうかな。「キレイごと」ってよく悪い意味で使われるけど、決してそんなことないっしょ。

2007.05.30 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(4) |

公明党の遠山清彦参院議員が今月23日、静岡市内で開催された街頭演説会に出席した。彼が一貫して取り組んできた「求人の年齢制限の撤廃」について、「参院予算委員会で柳沢厚労相が『来年から原則的に撤廃する』と答弁した」と紹介し、「今後も国民のニーズを政策として実現していく」と力説した。

この「求人の年齢制限の撤廃」とは、企業が労働者を募集・採用する際に年齢による制限を原則として禁止するというもので、自民党が中心となって検討している。現在は「できるだけ年齢制限を設けないように」という程度の努力目標だった。そもそもこれが検討されはじめたのは、安倍首相の掲げる「再チャレンジ」促進策がきっかけ。年齢差別による雇用問題をなくし、中高年の再就職を促すのが狙いだ。

現在の求人広告は多くに「募集年齢」が表記されており、そのほとんどが「30歳まで」「35歳以下」など、中高年に入り込む余地のないものである。ハローワークでも半数以上の求人に「募集年齢」が記載されており、現在の“努力目標”はほとんど守られていない。考えてみるとそれも無理はない。そもそも年齢というものは、企業の戦力を考えるうえでは重要な要素。定年までの年数や賃金、能力の伸びしろなどを考えると、採用時に年齢を無視することはできないのだろう。

もしこの「求人の年齢制限」を禁止したとしても、企業の採用担当が年齢を無視して選考を行うことには繋がらない。結局は書類選考や面接で不採用を通知することになり、現状と何も変わらない。むしろムダな応募、ムダな面接が増えることになり、求職者にとっても企業にとってもマイナス要素が増えるだけになる。

このような法案で、自民党の「再チャレンジ」促進策が前に進むのだろうか。このままでは逃げ道がいくらでもあるただの“ザル法”になってしまう。それよりも「全従業員に占める○歳以上の高齢者の割合を▲%以上雇用する」など、より踏み込んだ法案でないと意味がない。経済界からの反発を恐れているのか、どうも安倍首相の雇用政策は中途半端なものが多い。思えば、ホワイトカラー・エグゼンプションもそうだった。思い切った政策には反発がつきもの、と割り切って推し進めることはできないのか。あまり意味のない政策ではあるが、この「求人の年齢制限の撤廃」までもが頓挫してしまうことになれば、もう安倍首相を笑うしかない。

2007.05.28 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(2) |

 すべての武器を楽器に。
 すべての基地を花園に。
 すべての人の心に花を。
 戦争よりも祭りを。


喜納昌吉さんからのメッセージ。それは「戦争をなくそう」「平和な世の中をつくろう」だけじゃなく、なにか新しい幸せを創造しようというクリエイティブな意味も込められていた。私が出会った沖縄は、ときに楽しく、ときに悲しくあった。それは、自分にとってなにか新しい“幸せ”をもたらしてくれるような気がした。

石垣島から竹富島へ──。その島には、木造赤瓦の民家と白砂を敷詰めた道という沖縄古来の姿があった。青い海、星砂の浜、生い茂る木。赤瓦にはシーサーがこっちを向いてウインクし、道には牛車がのろのろと旅行客を案内する。沖縄には数々の離島が存在するが、この竹富島はまたひと味違う。沖縄の“幸せ“がびっしり詰まった、まさに楽園といえる島。

その後石垣島を満喫した私は、いちど大阪に戻り、次の日から沖縄本島へ。そこで沖縄の“悲しみ”を垣間見た。私が訪れた本島中部の北谷という町は、全面積の半分を米軍関連施設が占める。そこはもはや沖縄でもなければ日本でもない、紛れもないアメリカが存在していた。アメリカンビレッジにはタコス店やステーキハウスが並び、米ドルでの広告が掲げられる。白人や黒人が、当たり前のように街を歩いていた。

敗戦でアメリカに占領された影響がこの街にはいまも多く残っている。しかし、北谷で見かける日本人の顔は笑っていた。観光スポットにするため「アメリカンビレッジ」という名をつけ、旅行客を呼び込もうとする北谷町。なにか、戦争の悲しみをグッとこらえ、現実を受け止め、無理にでも気持ちを切り替えようとしている姿に見えてならなかった。

北谷を後にし、私は恩納村にある『琉球村』という場所に向かった。琉球村は沖縄の文化・芸能・自然を体感できるテーマパーク。そこで私は一人のおばあさん(沖縄では「おばぁ」と呼ぶ)に出会った。そのおばぁは琉球村で働いていた。87歳だという。おじぃの弾く三線に合わせて琉球舞踊を踊り、踊ったあとは沖縄茶をお客さんに売る。試飲サービスもあり、かなりの忙しさに見える。それでもおばぁは疲れも見せず、一生懸命働いていた。私が近づくと、おばぁは笑顔で私に話しかけ、一杯のお茶を差し出した。カメラを向けると、ニッコリ笑ってレンズを見た。この笑顔の向こうには、戦争の悲しみが大きく存在するのだろう。北谷のような沖縄の別の顔を、悲しみをこらえて受け止め、いつの日か懐かしい沖縄の姿に戻れるよう、懸命に努力しているのだろう。

その夜、私は国際通りにある「チャクラ」というライブハウスで、あの伝説のバンド・喜納昌吉&チャンプルーズのライブを観た。『花~すべての人の心に花を~』という彼らの代表作を生で聴き、私は琉球村で出会ったおばぁの笑顔を思い出した。あのおばぁも戦争なんて願っていない。アメリカに囲まれたこの島を、沖縄の真の姿とは思いたくない。そんな悲しみをこらえる苦痛を、味わわせたのは戦争である。

アメリカが悪い、ナチスが悪い、だけじゃなく、戦争は全世界の責任。いつの日か、すべての人の心に花が咲けば、武器を楽器に変え、祭りが始まる。喜納昌吉さんは、いや沖縄は、そんなメッセージを私たちに送っているようだった。

2007.05.08 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(2) |

久しぶりにドラマというものを見てみた。

昨日から5夜連続で放映されているNHKドラマ『グッジョブ-Good Job-』。特に期待していたというわけでもなく、好きなタレントが出演しているというわけでもない。ただ、23時という深い時間帯が自分の生活リズムに合ったので、何気なしに見てみた。

このドラマは連載中のコミックをドラマ化したもの。建設会社を舞台に、個性豊かなOLたちと彼女らのサポートを受ける営業マンが織り成す人間模様を描いている。「働く女性」がこのドラマのテーマ。最近では『ハケンの品格』というドラマがヒットするなど、「働く女性」に対する関心は高まっているようだ。

私が注目したのは、主演の松下奈緒が演じる上原草子の仕事への姿勢。“営業サポート”という立場の彼女は、営業マンに対して思ったことをストレートにぶつけていた。時には営業マンに喝を入れ、時には新人を励ます。明るくアグレッシブで、常に営業課のメンバーを気にかける。演技の中で彼女自身も言っていたが、まさに「ハートでぶつかる」タイプの人間だ。与えられた業務をこなすだけでなく、部署の雰囲気やチームワークを高めていこうとするポジティブな姿勢が強く感じられた。

「仕事ができる人間」とは、一体どういうことだろう。私も社会人になって丸5年になり、様々な社員や客と接してきた。その中には、仕事はきっちり行うが無愛想で感じの悪い人もいた。普通、そのような人を言葉で表現すると「仕事はできるんだけど、なんか感じ悪いな~」となる。しかし私は次のように思う。

「感じが悪い」「接しにくい」「苦手だ」と相手に思わせることは、ある意味「仕事ができない」ということに等しい。不快感を与えることで、相手から積極的に接せられなくなり、それにより自分への情報伝達が不足。業務進行への支障が出る。回り回って、その人自身の業務にも悪影響を与えることになる。言ってみれば、その人は業務を行う上で「損をしている」ということになる。もちろん、これは仕事だけに限ったことではなく、生き方そのものに言えることだ。

若者だけでなく、中堅世代にも言えることらしいが、最近は「自分さえよければいい」という冷めた考えで仕事をする人が多いという。中には「社内ニート」と呼ばれる極端に無気力なヤツらさえ存在する。悪しき態度や冷めた考えは、周囲の人間だけでなく、回り回ってその人自身もダメにする。与えられた仕事はちゃんとしていても、その人が会社に与えるものはそれ以上に“有害”であるだろう。

松下奈緒演じる上原草子から感じたことは“姿勢”だった。周りに与えるポジティブな雰囲気や、チームワークを重んじる姿勢は、「スキル」と呼べる立派な武器である。まだ2話しか見ていないが、ドラマ『グッジョブ』からはそんなことを感じた。「仕事はデキるが感じの悪い人」諸君よ、どうかこのスキルを磨いてくれ。

2007.03.28 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(5) |

ソーシャル(社交的な)・ネットワークとはうまいこと言ったもんだ。ソーシャル・ネットワーキング・サービス『mixi(ミクシィ)』の会員はすでに800万人を超え、社会現象にまでなっている。同種のサイトは他にも多く存在し、もはやSNSはネット業界の“常識”となっている。このサイトがきっかけかどうかは知らないが、最近は“口コミ”という情報に信頼性を抱く人が多い。もはや一般人は、「高機能ですよ」「美味しいですよ」という広告だけでは動かない。人から人へ、その人自身の言葉で情報が流れる。これこそが信頼できる情報であり、ソーシャル(社交的)な情報収集方法だろう。この「ソーシャル」が、今後のコミュニケーションやビジネス、さらには社会のカギを握るとまで考える専門家もいるようだ。

mixiには「マイミク」と呼ばれる“繋がり”を結ぶ機能がある。誰かが誰かに申し入れを行い、承認されると“お友達”としてプロフィール上にその人が表示される。小・中・高時代の旧友、大学での仲間、会社の同僚、趣味の仲間、または恋人や家族、さらにはネット上で知り合った友達までもが一斉に存在し、まるで“自分のための同窓会”が行われているよう。本来なら何の接点も持たない人たちが、空間を超えて一つのページ上に顔を揃える。これぞ、Web上でしか実現できないソーシャル・ネットワークだ。

しかし、このような非現実的なコミュニケーションに異論を唱える人も少なくない。「コミュニケーションとは実際に人と話してこそ成り立つもの」。それは確かにその通り。だが、時代が変わればコミュニケーションの形も変わるということも忘れてはならない。かつて、パソコンでのメールが普及し始めた頃、「こんなもので人の心が伝えられるか」「人間のコミュニケーション能力を低下させる」などと非難する声が多くあった。しかしどうだろう、現在の社会において、メールはビジネス・人間関係・情報収集などあらゆる舞台で使われ、もはや人々の生活欠かせないツールとなっている。当時批判していた人も、今や自然にメールを使って生活していることだろう。

コミュニケーションにも“時代”がある。しかし世の中には、価値観が固まってしまい、物事における柔軟な意識改革ができない大人も多くいる。そんな人たちが、揃って「新たな時代」の誕生を批判する。一方、価値観の固まっていない若者は、この手のツールを見事なまでに柔軟に受け入れ、驚異的なスピードで我がものにしていく。大人たちが「最近の若い人は・・・」と若者を批判する原因の一つは、柔軟さの欠如が大人たちにあるのではないだろうか。

リアルな人間関係をいかにネット上に取り込むのか。ソーシャル・ネットワークには個人情報の問題など、課題がまだまだたくさんある。だが恐らくこのソーシャル・ネットワークも、いずれはコミュニケーションツールの一つとして世の中に溶け込んでいくだろう。そしていつかのメールのように、反対論者も何食わぬ顔で使っていくことだろう。まあ、それがmixiなのかは別として。

2007.03.21 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(2) |

3月16日、ライブドアの前社長である堀江貴文被告に対し、東京地裁は証券取引法違反の罪で懲役2年6ヶ月の判決を言い渡した。堀江被告は直ちに控訴し、今後は高裁の場で争われることとなった。実刑という厳しい判決のウラには、社会に与えた影響や、手っ取り早く儲けようという世の中に蔓延りがちな価値観のようなものを戒める意味も込められていたのだろう。

その日の夜、ホリエモンはテレビ朝日系『報道ステーション』に出演していた。そして立て続けにTBS系『筑紫哲也のNEWS23』にも出演。控訴中とはいえ、民放各局は実刑判決を受けた“犯罪者”をテレビ出演させた。番組内でホリエモンは「判決には納得がいかない」「裁判官も“ちょっとずるいよね”的なニュアンスで有罪にした」などと不満を連発していた。

殺人だろうが粉飾決算だろうが、犯罪者であることに変わりはなく、「罪を犯した」という意味では同じである。テレビ局側があえて犯罪者に主張する場を与え、その声を全国の視聴者に届ける必要はどこにあるのだろう。反論があるなら裁判で主張すればいい。極端に言えば、これではまるでテレビ局側が「堀江さんは無実かもしれないです」と言っているかのように見えてしまう。

堀江被告は18日の『サンデープロジェクト』にも出演していたらしい。他の出演者からかなり厳しいことを言われていたみたいだが、やはり主張の場を与えたことには変わりない。16日の出演もそうなのだが、この出演でテレビ局は堀江被告に“ギャラ”を支払っていることになる。どの程度の金額かは知らないが、金儲けをしようとして逮捕された犯罪者にギャラを払ってまで主張の場を与えるとは、テレビ界も廃れたものだ。

このウラにあるのは、ご存じの通り視聴率。テレビ各局の「視聴率のためなら何でもする」という悪しき伝統意識が、堀江被告の出演を推したのだろう。『発掘!あるある大事典2』をはじめとするここ最近の捏造問題も、この伝統意識が“犯人”である。発覚した「やらせ」はあくまでも氷山の一角で、「演出」「味付け」と称する“ウソ”は、星の数ほどあるに違いない。それも、結局は金儲けのため。もちろんその中には様々な思いがあるのだろうが、やっていることはホリエモンと同じだ。堀江被告が逮捕された時、揃ってテレビ局は彼を批判した。しかし堀江被告が有罪判決になると、テレビ局は彼に主張する場を与えた。まさに「カネのためなら何でもする」である。

真実を伝える役目であるテレビ局がいま、堀江被告と同じように、ラクをして、さらにはウソをついてまでカネを儲けようとしている。時には犯罪者を出演させ、時には番組を粉飾させ、“視聴率”という名の「カネと名誉」を得ようとしている。堀江氏があるとき言った「国民は馬鹿だから」という言葉は、いまやテレビ局からの言葉になっているのかもしれない。

2007.03.19 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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