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【300(スリーハンドレッド)】 4点
けっこう期待して観に行ったんですが、イマイチでした。まず言うと、ストーリーが薄い。一言で「300人と100万人が戦った」っていうだけの映画って感じ。それ以上でもなくそれ以下でもない、ただそれだけの映画。厳しい特訓によって産み出されたスパルタの戦士像や、何があっても撤退せず、何があっても降伏しないというスパルタをもっとストーリーに絡めて複雑に描いてほしかった。なんか戦い方もノーマルで、戦う姿勢も“やる気マンマンの戦士”っていう程度。スパルタだから起こりえる特別な展開が全くなかったんで、退屈な気分になりました。

古代の現実を描いたノリかと思いきや、敵キャラで妖怪のようなヤツらがたくさん登場してきて、どういう世界での出来事かわからなくなった。裏切り者になるヤツも人間離れしているし、魔法とかもありえる “何でもアリ”の世界のような気もして、映画に入っていけません。ボスキャラの男も古代の雰囲気がなく、統一感があまりなかった。僕としては完全に現実世界の古代として映画の雰囲気をつくってほしかったです。

映像が期待していたのと違ったところも残念でした。全体的に暗くて狭い雰囲気のシーンが多く、壮大でリアルな古代の風景はあまりありませんでした。ほとんどのシーンをCGで表現してるらしいのですが、そのせいもあったのでしょうか。個人的には『トロイ』のようなリアルで壮大な映画の雰囲気を期待していたのですが、全くそうではなかった。主人公夫婦のラブシーンを中途半端に長く入れたり、エンドロールを血だらけにしたり、よくわからないことが多々。ちょっと変わった監督なんですかね。よく知りませんが。

話は変わりますが、ラブシーンとかキスシーンとか、絶対に入れなきゃいけないもんなんですかね?ハリウッドの映画ってたいがい入ってるじゃないですか。それが無意味であっても、何かしら必ずそういうシーンが入っている。暗黙の掟でもあるんでしょうか。必要ないんだったら入れなきゃいいのに。いつもそう思います。効果のよく分からないしょうもないキスシーンを観るくらいだったら、きれいな風景でも見せてくれた方がマシです。

まあでも、ラストシーンとか闘いのシーンは悪くなかったし、興奮するシーンもありました。なので、駄作とまで言い切ってしまうほどの映画ではありません。ただ、必要以上に高評価されていることが不思議。やっぱストーリーが薄かったら映画はおもしろくないですね。


【バッテリー】 6点
個人的に好きなポイントを集めた映画だったので、なかなか楽しめました。原作をまったく読まずにこの映画を観たんですが、田舎の雰囲気、野球への情熱、友情、弟の病気、兄弟愛など、個人的に弱いシーンが満載で、序盤から涙がうるうる光ってました。弟・青波役の子役がかなり良い味を出していたと思います。

タイトルどおり、バッテリー間の信頼をテーマにした映画。これはこれで良かったとは思うんですが、個人的にはもっと青波にスポットを当てて、「病気の少年が野球をする」みたいなストーリーにしても良かったのではと思いました。現状のストーリーでは、青波の扱いが中途半端で、ただの盛り上げ役くらいにしか見えませんでした。

ちょっと大人たちを悪役のように扱いすぎていたことや、ライバルの中学生がどう見ても大人に見えたことは改善の余地あり。調べてみたら、20歳を超えた俳優に中学生役をさせてるんですね。そりゃやりすぎやわ。違和感たっぷり。さらに、その彼が言う「こいつの球を打つために、高校には行かん!」みたいなセリフなんて、どう考えてもむちゃくちゃ。まあ、勢いで無茶なセリフ言うところが逆に中学生っぽくてリアルっちゃあリアルやねんけど。

忙しい社会での生活に疲れていて、しかも野球とか田舎の風景とかが好きな人なら、ボーと見ると癒されるんではないでしょうか。あまり気合いを入れず、期待もせず雰囲気を楽しみましょう。それがこの映画を観るポイント。個人的に好きなポイントの多い映画だったので、ちょっと甘い採点になっちゃいました。

2007.06.12 | 映画 | トラックバック(12) | コメント(2) |

【大日本人】 8点
意外・・・と言ったら失礼ですが、おもしろかった。見終わった感想としては、「めっちゃ笑ったわ~」ってことと「これ、果たして映画か?」っていうこと。ただ、映画というものは、必ずしも「こうでなくてはならない」という決まりがあるわけではなく、多くの作品に見られる傾向があくまでも“映画の標準”であるような気がしているだけだと思うので、その部分に文句はありません。

基本的なテイストとしては松っちゃんのコントDVD『VISUALBUM』のような感じ。あまり内容を書くとこれから観る人が楽しめないので伏せておくけど、“松本人志テイスト”がプンプンしていて「あ~、松っちゃんホンマこういうの好きやな~」って思う部分が随所に存在しています。インタビュアーの“なあなあ”のノリとか、ヒーローに対する世間の扱いとか、彼の“マゾ的”な笑いのツボが詰まっています。松本人志の笑いが好きな人であれば、ほぼ間違いなく楽しめるでしょう。

終盤は『ごっつええ感じ』的なノリが急に始まって、彼の言う「映画を壊す」という言葉通り、ムチャクチャな展開。“映画の標準”を大切にしたい人であれば、意味不明な内容で怒りすら込み上げてくるような展開でしょう。個人的には大笑いしたから満足でしたが、間違いなく賛否両論あるでしょうね。でも初作品でここまでムチャクチャできたのは、やはり彼が松本人志だったからでしょう。

一部で言われている「この映画は児童虐待や介護問題、動物愛護問題などの社会風刺がたくさん入っている」という意見ですが、シーンひとつひとつ振り返ってみればそうとも思いますが、観ていて強くそう感じることは特にありませんでした。この部分に関しては、ちょっと彼を持ち上げすぎでは?と思います。「天才」と言われている人だと、細かいところを取り上げてそういう意見を言う人もいるんですかね。彼自身も「たまたま」と言っていますし、そんなに社会風刺を込めた映画だとは思いません。

あと、出演者の演技がなかなか自然で良かった。エキストラ(?)のおっさんたちも含めて。撮影する雰囲気づくりが上手かったんでしょうね。ただ、松っちゃん自身の演技がイマイチだったことが残念。関西弁の彼がむりやり標準語を使っているので、終始ぎこちない演技にみえました。観てる側が「松っちゃんの演技」として観ているので、さらにぎこちなく見えたんでしょう。世の中の松本人志に対するイメージは完全に出来上がってしまっているので、役者・松本人志はかなりハードルが高いですね。相当な演技力がない限り、ぎこちなさを感じると思います。

正直、この映画はカンヌでウケるとは思えません。酷評されることがあったのも十分うなづけます。松本人志のツボが好きな人でなければ、意味不明ってこともあるでしょう。事実、僕の隣にいたカップルは「わからん、わからん!」を連呼していました。でも、やっぱ劇場で見ておくべき作品だと思いますよ。


【監督・ばんざい!】 5点
「世界のキタノ」だから許される、映画で遊びまくった作品。北野武の代表作には決してならないだろうけど、「こんな映画があってもいいのかも」とい思えた映画。気合いを入れて観に行くような映画では全くなく、2~3年後には「そんな作品あったなあ~」と思うくらいの、まあそんな感じの内容でした。

前半の、あらゆるジャンルの映画をオムニバス形式で見せるパターンは個人的に好きでした。でも、こういうのを続けていくのかと思いきや、後半はどうもよくわからないテーマの作品を長々と続けていたので、ちょっと退屈に感じました。どうせなら前半のようなノリで終わりまで続けていってもらった方が良かったかも。

松本人志の『大日本人』と同様、この映画も「映画を壊す」作品だったように思えます。ただ、こっちはちょっと不発って感じ。ビートたけしの笑いは詰まっていたけど、映画自体の芯となるものがあまり見えずダラダラしていて、あまりついていけなかった。良い意味でも悪い言い見でも「悪ふざけ」したような映画だったように思えます。

それぞれのオムニバス作品での内容は、「さすが北野武!」という部分も多くありました。貧乏な子どもが出てくる人間味ある物語や、忍者映画での迫力あるシーンなど、それぞれで彼の持ち味のようなものが出ていました。だからこそ、そのノリで最後まで進めていってほしかった。後半のダラダラ感は狙いだったのかもしれないが、個人的にはあんまり。なんかもったいない映画のように思えたのは僕だけでしょうか。1800円払うほどの映画かと言われれば、払うほどではないと答えてしまう映画です。

2007.06.05 | 映画 | トラックバック(13) | コメント(5) |

ZARDの坂井泉水さんが亡くなって、農林水産大臣の松岡さんも亡くなって、今日もなんか緑ナントカ機構のオッサンが亡くなって、世の中は“死”のニュースばっか。親が子を殺したり、子が親を殺したり、そんなんばっか。「あの、高校生が親を殺したニュース、知ってる?」とか言っても、そんなニュースがいくつもあってどれがどれなのかがわからん。この年になると、リアルに考えられる未来がけっこう先にまで広がっていて、自分の子どもが産まれたり成長したり、親類が寿命で死んじゃったりすることが、昔に比べるとリアルに考えられるようになった。だから、死ぬっていう悲しさとか長生きするっていう意味もある程度リアルに理解できたりもする。

坂井泉水さんが死んだ理由はまだわからないみたいだが、このニュースを聞いて自然に思ったことがあって、そのことに自分でびっくりした。それは、自殺か事故かわからない坂井さんの死に対して「自殺なんて・・・」って思う一方で「事故よりは自殺の方がまだマシ」って思う自分もいたこと。今まで、自殺なんかアホらしい、ありえない、ってずっと思ってきた自分が、自然にそんなことを思っていたことにびっくりした。なんでそんなことを思ったかを考えてみると、あんなに才能があって周りからの支持も高い人が、不慮の事故で死んでしまうのはあまりにももったいないって思ったから。もし事故に遭っていなかったら、これからもすばらしい作品を提供してくれたのかもしれない。そう思うと、事故死ではファンもやりきれないんじゃないかなって思った。

それに比べると、彼女自身で自らの人生を終わらせる方がまだ諦めがつくんじゃないかなって感じた。彼女の選んだ道だから仕方がないのかも。そう思うと、ガンとの闘いを続けた彼女に「お疲れさま」とでも心の中で声をかけることもできるような気がする。・・・ってまあ、そんなことを自然に考えてた自分がいて、何か「自分の考え方も変わったのかなあ」みたいに思った。もちろん自殺はアカンって思うし、絶対にしてほしくないこと。その考えは今までと変わらないのだが、坂井さんがすで死んでしまった今この状況で、自殺か事故かわからない彼女に対してだからそんなことを思った。それが良いか悪いかはよくわからんけど。

そんなニュースが流れる中、自分の周囲では幸せなことや悲しいこと、楽しいこと、腹が立つこととかがいつも通りにいっぱい存在している。世の中に巻き起こっている生死のニュースに比べたら、もちろん大ごとではないようなことばかり。でも、ニュースに比べるとはるかに自分に関係のある身近なことなので、そのたびに感情が起伏する。なんか、何が重要で何が重要なのか、考え過ぎたらよくわからんようになるわ。

ニュースって、見過ぎるとあまり良くないものなのかもしれない。ほとんどがマイナス情報。誇張して報道したり、時にはウソだったりすることもある。ネット上の掲示板なんてウソとか中傷とか差別とかが溢れていて、人間にとって負の影響を与える空気ばかり。そんなことに時間をかけるのであれば、キレイごとを伝えてくれる映画とか音楽を楽しむ方がよっぽどいいと思うことがある。

人の心の中って、たまに洗ってやらないと落ちない汚れが増えてしまうと思う。それを怠ると、幸せなことを素直に祝ったり、理不尽なことに腹を立てたり、そんなことがあまりできない人間になってしまう。そんな人って少なからず世の中にいるんちゃうかな。「キレイごと」ってよく悪い意味で使われるけど、決してそんなことないっしょ。

2007.05.30 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(4) |

公明党の遠山清彦参院議員が今月23日、静岡市内で開催された街頭演説会に出席した。彼が一貫して取り組んできた「求人の年齢制限の撤廃」について、「参院予算委員会で柳沢厚労相が『来年から原則的に撤廃する』と答弁した」と紹介し、「今後も国民のニーズを政策として実現していく」と力説した。

この「求人の年齢制限の撤廃」とは、企業が労働者を募集・採用する際に年齢による制限を原則として禁止するというもので、自民党が中心となって検討している。現在は「できるだけ年齢制限を設けないように」という程度の努力目標だった。そもそもこれが検討されはじめたのは、安倍首相の掲げる「再チャレンジ」促進策がきっかけ。年齢差別による雇用問題をなくし、中高年の再就職を促すのが狙いだ。

現在の求人広告は多くに「募集年齢」が表記されており、そのほとんどが「30歳まで」「35歳以下」など、中高年に入り込む余地のないものである。ハローワークでも半数以上の求人に「募集年齢」が記載されており、現在の“努力目標”はほとんど守られていない。考えてみるとそれも無理はない。そもそも年齢というものは、企業の戦力を考えるうえでは重要な要素。定年までの年数や賃金、能力の伸びしろなどを考えると、採用時に年齢を無視することはできないのだろう。

もしこの「求人の年齢制限」を禁止したとしても、企業の採用担当が年齢を無視して選考を行うことには繋がらない。結局は書類選考や面接で不採用を通知することになり、現状と何も変わらない。むしろムダな応募、ムダな面接が増えることになり、求職者にとっても企業にとってもマイナス要素が増えるだけになる。

このような法案で、自民党の「再チャレンジ」促進策が前に進むのだろうか。このままでは逃げ道がいくらでもあるただの“ザル法”になってしまう。それよりも「全従業員に占める○歳以上の高齢者の割合を▲%以上雇用する」など、より踏み込んだ法案でないと意味がない。経済界からの反発を恐れているのか、どうも安倍首相の雇用政策は中途半端なものが多い。思えば、ホワイトカラー・エグゼンプションもそうだった。思い切った政策には反発がつきもの、と割り切って推し進めることはできないのか。あまり意味のない政策ではあるが、この「求人の年齢制限の撤廃」までもが頓挫してしまうことになれば、もう安倍首相を笑うしかない。

2007.05.28 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(2) |

そういえば、昔は今井美樹さんの曲をよく聴いていた。布袋寅泰がプロデュースしはじめる前の、まだそんなに売れてない頃の曲。何よりも歌声が好きで、キレイなビブラートで思わず甘えたくなるような歌声だった。『PIECE OF MY WISH』のサビの部分は、彼女の歌声が特にオーラを放っていて、思春期の少年である私の心を何度もくすぐった。たとえどんな曲でも、彼女が歌えば好きになった。魅力を感じる歌声って、どんな曲でも“名曲”に感じさせてしまうのかもしれない。

そんな感覚は最近増えてきた。「ええ声やわ~」って感じるとき。なんか、子どもから大人になると味覚が変わるみたいな、「微妙な感覚」っちゅうもんがわかるようになる感じ。クラムボンの原田郁子さんがそうだし、他ではsalyuとかYUKIとか、BEGINの比嘉栄昇とか、クレイジーケンバンドの横山剣、フジファブリックの志村正彦などもそう。どれもここ数年でよく聞く音楽で、「ごっつええ声やわ~」と思う。その中でも、EGO-WRAPPIN’のボーカル中納良恵さんの声が好き。やさしい歌声と激しい歌声の二面性があって、それぞれが両極端の強い雰囲気を出している。何回もライブ行ってるけど、毎回聞き惚れてしまう。“声”を感じることが増えてきたここ数年。耳も成長しているんだろうか。ちなみに『BYRD』という曲は個人的な思い入れもあり、自分の中でかなりの名曲。

高校生から大学生にかけては、フォークの魅力に取り憑かれた。奥田民生を聴いたのがきっかけ。ユニコーンの『雪が降る町』くらいから彼に興味を持ちだして、ソロになって初めてのアルバム『29』で衝撃を受けた。特にその中の『674』という曲。フォークギターだけで弾き語る暗~い曲で、哀愁だけにとどまらず絶望感や殺意さえも覚えさせた。「あ、この人のようになりたい・・・!」って思ったのを覚えている。それからギターの練習をはじめて、彼の曲も多く覚えた。歌い方も自然に真似してて、気付けば似たような歌い方をしてた自分がいた。「ペットは飼い主に似る」とはよく言うけど、それと同じ感じやね。

奥田民生の延長線上のような感じでハマったのが吉田拓郎さん。同じような音楽の趣味だった高校時代の友人に薦められて聴いたのがきっかけ。ぶ厚~い“吉田拓郎楽譜集”みたいなのを持って、その友人と二人で阪急伊丹駅の側でよく路上ライブしたのを覚えている。吉田拓郎だけあって、近づいてくるのはオッサンばっか。お小遣いをもらったこともあった。大声で『人生を語らず』『落陽』『イメージの詩』を歌いまくった。その他にも名曲がいっぱいあって、十代の若者のクセに聴きまくってた。あの頃は、井上陽水や浜田省吾、安全地帯や、中島みゆきなどをよく聞いていて、周りから「エツは古いモン聴くねんな~」って言われた。まあ、その頃に流行った曲も聴いててんけど。

つづく(予定)

2007.05.11 | 音楽 | トラックバック(0) | コメント(0) |

 すべての武器を楽器に。
 すべての基地を花園に。
 すべての人の心に花を。
 戦争よりも祭りを。


喜納昌吉さんからのメッセージ。それは「戦争をなくそう」「平和な世の中をつくろう」だけじゃなく、なにか新しい幸せを創造しようというクリエイティブな意味も込められていた。私が出会った沖縄は、ときに楽しく、ときに悲しくあった。それは、自分にとってなにか新しい“幸せ”をもたらしてくれるような気がした。

石垣島から竹富島へ──。その島には、木造赤瓦の民家と白砂を敷詰めた道という沖縄古来の姿があった。青い海、星砂の浜、生い茂る木。赤瓦にはシーサーがこっちを向いてウインクし、道には牛車がのろのろと旅行客を案内する。沖縄には数々の離島が存在するが、この竹富島はまたひと味違う。沖縄の“幸せ“がびっしり詰まった、まさに楽園といえる島。

その後石垣島を満喫した私は、いちど大阪に戻り、次の日から沖縄本島へ。そこで沖縄の“悲しみ”を垣間見た。私が訪れた本島中部の北谷という町は、全面積の半分を米軍関連施設が占める。そこはもはや沖縄でもなければ日本でもない、紛れもないアメリカが存在していた。アメリカンビレッジにはタコス店やステーキハウスが並び、米ドルでの広告が掲げられる。白人や黒人が、当たり前のように街を歩いていた。

敗戦でアメリカに占領された影響がこの街にはいまも多く残っている。しかし、北谷で見かける日本人の顔は笑っていた。観光スポットにするため「アメリカンビレッジ」という名をつけ、旅行客を呼び込もうとする北谷町。なにか、戦争の悲しみをグッとこらえ、現実を受け止め、無理にでも気持ちを切り替えようとしている姿に見えてならなかった。

北谷を後にし、私は恩納村にある『琉球村』という場所に向かった。琉球村は沖縄の文化・芸能・自然を体感できるテーマパーク。そこで私は一人のおばあさん(沖縄では「おばぁ」と呼ぶ)に出会った。そのおばぁは琉球村で働いていた。87歳だという。おじぃの弾く三線に合わせて琉球舞踊を踊り、踊ったあとは沖縄茶をお客さんに売る。試飲サービスもあり、かなりの忙しさに見える。それでもおばぁは疲れも見せず、一生懸命働いていた。私が近づくと、おばぁは笑顔で私に話しかけ、一杯のお茶を差し出した。カメラを向けると、ニッコリ笑ってレンズを見た。この笑顔の向こうには、戦争の悲しみが大きく存在するのだろう。北谷のような沖縄の別の顔を、悲しみをこらえて受け止め、いつの日か懐かしい沖縄の姿に戻れるよう、懸命に努力しているのだろう。

その夜、私は国際通りにある「チャクラ」というライブハウスで、あの伝説のバンド・喜納昌吉&チャンプルーズのライブを観た。『花~すべての人の心に花を~』という彼らの代表作を生で聴き、私は琉球村で出会ったおばぁの笑顔を思い出した。あのおばぁも戦争なんて願っていない。アメリカに囲まれたこの島を、沖縄の真の姿とは思いたくない。そんな悲しみをこらえる苦痛を、味わわせたのは戦争である。

アメリカが悪い、ナチスが悪い、だけじゃなく、戦争は全世界の責任。いつの日か、すべての人の心に花が咲けば、武器を楽器に変え、祭りが始まる。喜納昌吉さんは、いや沖縄は、そんなメッセージを私たちに送っているようだった。

2007.05.08 | 世の中 | トラックバック(0) | コメント(2) |

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